|
|
2001年のシーズンを終了した時点で、Hondaは通算525回の優勝数を積み重ねた。500ccクラス156勝、250ccクラス177勝、125ccクラス144勝、そして今はグランプリからその姿を消した350ccクラス35勝、50ccクラス13勝が、その内訳となっている。
その幾多の勝利の中で、ひとりで全体の1割を超える勝利数を稼ぎ出したライダーがいる。彼が90年代に残した栄光の軌跡を抜きに、Hondaの500勝を超える記録達成を語ることは出来ない。グランプリにおける生涯優勝数54回。そのすべてをHondaとともに、そして500ccクラスで達成したミック・ドゥーハンは、これまで61名を数えるHondaグランプリウィナーの中で、もっとも偉大な功績を残したライダーの一人であることは間違いない。
|
|
|
|
Hondaの60年代グランプリ活動において、他のクラスに遅れて最後の挑戦の場となった500ccクラスは、わずか2年の参戦でしかなかった。66年の参戦初年度、好調な滑り出しを見せたジム・レッドマンではあったが、転倒による負傷で引退を余儀なくされ、その後500ccクラスのエースを務めたのはマイク・ヘイルウッドだった。このふたりが500ccクラスに残した戦績は、合計10回の優勝と、66年度のメーカータイトル獲得にとどまっている。 |
|
|
|
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
マシン |
備考 |
01 |
1966 |
05.22 |
02 |
West Germany |
Jim REDMAN |
RC181 |
500cc初優勝 |
02 |
06.25 |
04 |
Netherlands |
Jim REDMAN |
RC181 |
|
03 |
07.24 |
07 |
Czechoslovakia |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
04 |
08.20 |
09 |
Ulster |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
05 |
09.02 |
10 |
Great Britain |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
500cc初メーカータイトル獲得 |
06 |
1967 |
06.16 |
04 |
Great Britain |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
07 |
06.24 |
05 |
Netherlands |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
08 |
07.23 |
08 |
Czechoslovakia |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
09 |
08.19 |
10 |
Ulster |
Mike HAILWOOD |
RC181 |
|
10 |
09.30 |
12 |
Canada |
Mike HAILWOOD |
RC181-10勝 |
|
|
|
そして79年の、グランプリ500ccクラスへの復帰。NR500は優勝はおろか選手権ポイントを獲得することすら出来なかったが、その苦闘を経て開発された2ストロークNS500は、デビュー初年度から好調を発揮し、参戦2年目にはフレディ・スペンサーの手により初の500ccクラスタイトルを獲得するに至る。 |
|
|
|
|
翌1984年には4気筒NSR500を投入。続く85年にはスペンサーが250、500のダブルタイトルを獲得し、その圧倒的な存在を強くアピールした。この時点で、誰もがHondaとスペンサーの盤石な黄金時代の到来を予測した。しかし、右手の腱にトラブルを抱えたスペンサーは、100%の実力を発揮出来ないまま、その天才的なライディングの残像と、500ccクラス20勝、250ccクラス7勝という戦績を残してグランプリから去らなければならなかった。 |
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
マシン |
備考 |
11 |
1982 |
07.04 |
07 |
Belgium |
Freddie SPENCER |
NS500 |
2ストローク初優勝 |
12 |
08.08 |
10 |
Sweden |
Takazumi KATAYAMA |
NS500 |
|
13 |
09.05 |
13 |
San Marino |
Freddie SPENCER |
NS500 |
|
14 |
1983 |
03.19 |
01 |
South Africa |
Freddie SPENCER |
NS500 |
|
15 |
04.03 |
02 |
France |
Freddie SPENCER |
NS500 |
500ccクラス
初1-2-3位独占 |
16 |
04.24 |
03 |
Italy |
Freddie SPENCER |
NS500 |
|
17 |
05.22 |
05 |
Spain |
Freddie SPENCER |
NS500 |
|
18 |
06.12 |
07 |
Yugoslavia |
Freddie SPENCER |
NS500 |
|
19 |
08.06 |
11 |
Sweden |
Freddie SPENCER |
NS500 |
500ccクラス
初ライダータイトル獲得 |
20 |
1984 |
04.15 |
02 |
Italy |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
NSR500初優勝 |
21 |
05.27 |
05 |
West Germany |
Freddie SPENCER |
NS500-10勝 |
|
22 |
06.11 |
06 |
France |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
23 |
06.17 |
07 |
Yugoslavia |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
24 |
06.30 |
08 |
Netherlands |
Randy MAMOLA |
NS500 |
|
25 |
07.08 |
09 |
Belgium |
Freddie SPENCER |
NS500 |
1-2-3位独占 |
26 |
08.05 |
10 |
Great Britain |
Randy MAMOLA |
NS500 |
|
27 |
09.02 |
12 |
San Marino |
Randy MAMOLA |
NS500 |
1-2-3位独占 |
28 |
1985 |
05.05 |
02 |
Spain |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
29 |
05.26 |
04 |
Italy |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
30 |
06.02 |
05 |
Austria |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
31 |
06.29 |
07 |
Netherlands |
Randy MAMOLA |
NS500-15勝 |
1-2-3-4-5-6位独占 |
32 |
07.07 |
08 |
Belgium |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
33 |
07.21 |
09 |
France |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
34 |
08.04 |
10 |
Great Britain |
Freddie SPENCER |
NSR500 |
|
35 |
08.11 |
11 |
Sweden |
Freddie SPENCER |
NSR500-10勝 |
|
|
|
|
|
スペンサーの後を継いだのは、オーストラリアが生んだ闘志のライダー、ワイン・ガードナーだった。83年のGPデビュー戦では転倒リタイアに終わったガードナーだったが、その後の地道な成長は、いつしか彼をHondaのNo.1ライダーへと押し上げていった。そして時代は、500ccクラスの歴史の中でもっとも過酷な群雄割拠の時代へと突入していく。
87年に初のタイトルを獲得したガードナーの周囲には、エディ・ローソン、ランディ・マモラ、ウェイン・レイニー、そしてやや遅れてケビン・シュワンツといった、そうそうたるアメリカ出身のライバルたちがいた。ケニー・ロバーツやフレディ・スペンサーといった、いわば絶対的な存在が去った後、その後輩である彼らは毎レース熱戦を展開し、グランプリにおける500ccクラスの存在を絶対的なものへと押し上げることとなった。
|
|
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
マシン |
備考 |
36 |
1986 |
05.04 |
01 |
Spain |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
37 |
06.28 |
06 |
Netherlands |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
38 |
08.03 |
09 |
Great Britain |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
39 |
1987 |
04.26 |
02 |
Spain |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
40 |
05.24 |
04 |
Italy |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
41 |
06.07 |
05 |
Austria |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
42 |
06.14 |
06 |
Yugoslavia |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
43 |
08.09 |
10 |
Sweden |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
44 |
08.23 |
11 |
Czechoslovakia |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
45 |
09.27 |
14 |
Brazil |
Wayne GARDNER |
NSR500-20勝 |
|
46 |
1988 |
06.25 |
08 |
Netherlands |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
47 |
07.03 |
09 |
Belgium |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
48 |
07.17 |
10 |
Yugoslavia |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
49 |
08.28 |
14 |
Czechoslovakia |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
|
50 |
1989 |
04.09 |
02 |
Australia |
Wayne GARDNER |
NSR500 |
500cc通算50勝達成 |
51 |
04.30 |
04 |
Spain |
Eddie LAWSON |
NSR500 |
|
52 |
05.14 |
05 |
Italy |
Pier-Francesco
CHILI |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
53 |
07.02 |
10 |
Belgium |
Eddie LAWSON |
NSR500 |
|
54 |
07.16 |
11 |
France |
Eddie LAWSON |
NSR500 |
|
55 |
08.13 |
13 |
Sweden |
Eddie LAWSON |
NSR500-30勝 |
|
|
|
|
|
アメリカンライダーの猛攻をガードナーがひとりで受け止めていた80年代後半、彼の後輩であるひとりのオーストラリア出身のライダーが、世界への挑戦の足がかりを築いていた。19歳でロードレースデビューを果たしたドゥーハンは、その後ヤマハのサポートを受けて87年に世界選手権のTTフォーミュラ1、88年にはスーパーバイクなどに参戦。ともに13、12位というランキングではあったが、その荒削りなライディングに光るものを見出したHondaは、89年シーズンから彼を500ccワークスチームに迎え入れたのだった。 |
|
|
|
89年開幕戦の日本GPでは7周でリタイヤ、続く第2戦オーストラリアでは、ガードナーが地元ファンを熱狂させる優勝を飾る影で9位入賞と、ドゥーハンの500ccクラスデビューは実に地味なものだった。その後も中位以下のレースが続き、第6戦西ドイツで3位に入賞するものの、周囲はその活躍をまぐれと評価するものが多かった。89年のランキング9位、表彰台に登ったのは西ドイツの1回のみ。しかしドゥーハンの歩みは静かに、そして確実に頂点を目指していた。 |
|
|
90年、ヤマハのレイニーとスズキのシュワンツが激しいタイトル争いを展開する影で、Honda勢は久しぶりに沈黙のシーズンを送っていた。第3戦スペインでガードナーが優勝を手中にするも、その後Hondaはレイニーとシュワンツの勢いの前に完全に封じ込められ、セカンドグループを形成することが多かった。しかしドゥーハンは、耐えていた。彼らのトップ争いの後ろで、ドゥーハンは静かに自らのポテンシャルを磨き上げていた。それが、オーストラリアのスタイルなのかもしれない。ガードナーもドゥーハンも、デビューからいきなり大活躍を見せるタイプではなかった。アメリカンライダーの、GPにやってくるなり怒濤の勢いで表彰台を席巻するといったスタイルとは対照的に、彼らはじっくりとその階段を登って来た。そしてしっかりとした足場を築いた後、彼らはグランプリの中心に定着する。 |
|
ドゥーハンが念願の初優勝を果たすのは、90年の第14戦ハンガリー。この年2度目のポールポジションからスタートしたドゥーハンは、25秒という大きなアドバンテージを保って初のウィニングチェッカーを受けた。これは、僅差での勝負が続いていたこの90年シーズンの中でも、目を見張る大差のレースだった。そしてドゥーハンは最終戦オーストラリアでもポールを獲得。決勝こそ先輩のガードナーに0秒856差で破れるものの、彼はこのシーズンを通して確実に500ccクラスのトップクラスの実力を身につけるとともに、Hondaの500ccクラスにおけるエースの座をゲットすることになる。この年のランキング3位。グランプリ挑戦2年目のドゥーハンは、決して焦ることなく、遙か先の栄光の時代を見据えていた。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
91年は、ドゥーハンにとって確実にタイトルを狙えるシーズンだった。レイニーとシュワンツは、もはや彼にとって崩しがたい絶対的な壁ではなくなっていた。レイニー、ドゥーハン、シュワンツの3強が拮抗する500ccクラスのレースは、新たなる90年代の到来を告げる華やかさに満ちていた。だが、残念ながらドゥーハンにはレイニーをねじ伏せるだけの速さが備わっているとは言えなかった。
ノーポイントのレースわずか1戦というステディなシーズンを展開しながら、ポールポジション2回、ファステストラップ1回、そして優勝3回のドゥーハンは、ポール6回、ファステスト8回、優勝6回のレイニーに僅差ながら力負けした。 |
|
|
デビューの89年にランキング9位、90年3位、91年2位と、ドゥーハンの歩みは確実だった。そしてGP4年目の92年、彼は開幕から4戦連続で勝利を手中にし、一気にタイトルへの加速に入った。第5、6戦こそ2位に甘んじたものの、第7戦を取り返し、この時点でライバルに圧倒的なポイント差をつけて彼はシリーズランキングをリードしていた。だが6月25日、第8戦オランダの予選2回目、ドゥーハンは激しいクラッシュの結果右足を骨折。一時は健常な歩行さえ危ぶまれる程のダメージは、彼のレース活動を完全にストップしてしまうことになる。 |
|
ここまで確実に頂点へのステップを登ってきたドゥーハンにとって、このアクシデントは栄光へのスケジュールを大きく狂わせることとなった。しかし彼は、手術と苦しいリハビリテーションの日々を耐えた。誰もがレースへの復帰を危ぶむ中、彼の不屈の闘志はその傷を癒すことに集中した。そして2ヶ月後の8月下旬、ドゥーハンは見事ブラジルGPでレースに復帰した。予選14番手、決勝12位。ノーポイントに終わったものの、彼は第7戦までに稼いだポイント130点で、まだ500ccクラスのランキングリーダーだった。レイニーはこのレースに優勝し、ドゥーハンに2点差と迫った。 |
|
|
|
|
最終戦南アフリカGP、ドゥーハンはまだ完治しない右足の痛みに耐えて、6位に入賞した。レイニーはこのレースを3位で終え、最終的にドゥーハンに4点の差をつけてシリーズタイトルを獲得した。3年連続でタイトルを獲得したレイニーの最後のチャンピオンイヤーは、ドゥーハンの戦線離脱に助けられたものだった。 |
|
|
|
93年は、Hondaにとってそれまでにない苦しいシーズンとなった。怪我の完治を待ちながら手探りのレースを続けるドゥーハン。80年代中盤のHondaを牽引したガードナーはグランプリを引退し、チームに加わったダリル・ビーティは、レイニーとシュワンツを打ち負かすだけのトップスピードを持ってはいなかった。92年に500ccクラスへのデビューを果たしたアレックス・クリビーレは、その年に初優勝を経験するも、93年は表彰台に登れないレースが続いていた。この年、Hondaはわずか2勝。82年にNSで500ccクラスの優勝を果たして以来、もっとも低迷した成績のシーズンとなった。 |
|
|
それまで500ccクラスのタイトルを守り続けたレイニーは、第12戦イタリアのアクシデントによってそのライダー生活にピリオドを打たなければならなくなった。ドゥーハンも第13戦アメリカで再び負傷し、最終戦を欠場している。荒れに荒れた93年を制したのは、86年にGPデビューを果たして以来8年をかけて栄光を掴み取ったシュワンツだった。 |
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
DOOHAN
優勝数 |
マシン |
備考 |
56 |
1990 |
05.06 |
03 |
Spain |
Wayne GARDNER |
|
NSR500 |
|
57 |
09.02 |
14 |
Hungary |
Mick DOOHAN |
1 |
NSR500 |
ドゥーハン初優勝 |
58 |
09.16 |
15 |
Australia |
Wayne GARDNER |
|
NSR500 |
|
59 |
1991 |
05.12 |
04 |
Spain |
Mick DOOHAN |
2 |
NSR500 |
|
60 |
05.19 |
05 |
Italy |
Mick DOOHAN |
3 |
NSR500 |
|
61 |
06.09 |
07 |
Austria |
Mick DOOHAN |
4 |
NSR500 |
|
62 |
1992 |
03.29 |
01 |
Japan |
Mick DOOHAN |
5 |
NSR500 |
|
63 |
04.12 |
02 |
Australia |
Mick DOOHAN |
6 |
NSR500 |
|
64 |
04.19 |
03 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
7 |
NSR500 |
|
65 |
05.10 |
04 |
Spain |
Mick DOOHAN |
8 |
NSR500-40勝 |
|
66 |
06.14 |
07 |
Germany |
Mick DOOHAN |
9 |
NSR500 |
|
67 |
06.27 |
08 |
Netherlands |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
Hondaグランプリ
通算300勝達成 |
68 |
08.02 |
11 |
Great Britain |
Wayne GARDNER |
|
NSR500 |
|
69 |
1993 |
06.13 |
06 |
Germany |
Daryl BEATTIE |
|
NSR500 |
|
70 |
07.18 |
09 |
San Marino |
Mick DOOHAN |
10 |
NSR500 |
|
|
|
|
|
94年シーズンを待つHondaチームとドゥーハンは、徹底的なマシン開発と体調管理を行い、来るべきシーズンに備えた。その姿はまさに、寒さに耐えて花開く時を待ち続ける寒椿のようだった。そして、その確実な準備は大きな成果となって実を結ぶこととなる。 |
|
|
|
89年のGPデビュー以来、耐えて耐えて栄光への道のりを歩んだドゥーハンは、一気に頂点への道を駆け昇った。全14戦中9戦に優勝。2位3回、3位2回でノーポイント無し。ドゥーハンのまさに完璧なレース展開は、ライバルに圧倒的なアドバンテージを保ち、その獲得ポイントはグランプリ史上初めて300点を突破した。
これが、Hondaとドゥーハンの栄光の時代のスタートだった。翌95年、前年ほどの大差をつけたわけではなかったが、ドゥーハンはタイトルを連取。ドゥーハン以下のHondaライダーも確実に実力を発揮し、ランキングで4〜8位を占める活躍を見せた。ドゥーハンの絶対的な実力と、NSRの確実なポテンシャルアップは、Hondaの500ccクラスにおける黄金時代の扉を確実に開いた。
|
|
96年、Hondaは15戦中13戦に優勝。その内8戦にわたって表彰台を独占するという快挙を成し遂げた。第12戦イタリアは、グランプリ500ccクラスが通算500レースめを迎える記念すべきレース。この大きな節目に優勝を飾ったドゥーハンは、3年連続でタイトルを決定した。さらに続く第13戦ヨーロッパGPではHondaが1位から8位までを独占。そしてこの勝利は、Hondaにとって500ccクラスにおける100勝目の大切なマイルストーンとなった。 |
|
|
|
|
97年は、Hondaの500ccクラスレース活動における、ひとつの頂点を極める年となった。開幕戦マレーシアを1〜3位独占で制したHondaは好調の波に乗り、その後連勝街道をばく進することになる。ドゥーハンを中心に、岡田忠之、青木宣篤、青木拓磨の日本勢、クリビーレ、カルロス・チェカのスペイン勢、そしてアレックス・バロスなどを加えたHonda勢は、500ccクラスのレースを席巻。全15戦のレースを完全制覇するとともに、9戦にわたって表彰台を独占し、シリーズランキングでも上位5位までを占めるという快挙を現実のものとした。 |
|
|
|
この年ドゥーハンは12勝をマーク。この時点で、個人通算46勝となり、それまでHondaライダーとして最多優勝数を誇っていたジム・レッドマンを抜き、単独トップに躍り出た。そして注目は、Hondaの連勝記録の更新に向けられた。グランプリにおける単一メーカーの連勝記録は、MVアグスタによる68〜69年にかけての20勝だった。97年に15連勝を達成したHondaは、98年も好調な滑り出しをみせ連勝を継続。第2戦から第5戦まで1〜5位を独占し、第6戦スペインでついに21連勝を達成。この連勝記録は続く第7戦オランダでのドゥーハンの優勝まで続き、結局22連勝という前人未到の記録をグランプリの歴史に残すこととなった。 |
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
DOOHAN
優勝数 |
マシン |
備考 |
71 |
1994 |
04.10 |
02 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
11 |
NSR500 |
|
72 |
05.08 |
04 |
Spain |
Mick DOOHAN |
12 |
NSR500 |
|
73 |
05.22 |
05 |
Austria |
Mick DOOHAN |
13 |
NSR500 |
|
74 |
06.12 |
06 |
Germany |
Mick DOOHAN |
14 |
NSR500 |
|
75 |
06.25 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
15 |
NSR500
-50勝
|
|
76 |
07.03 |
08 |
Italy |
Mick DOOHAN |
16 |
NSR500 |
|
77 |
07.17 |
09 |
France |
Mick DOOHAN |
17 |
NSR500 |
|
78 |
08.21 |
11 |
Czechoslovakia |
Mick DOOHAN |
18 |
NSR500 |
|
79 |
09.25 |
13 |
Argentin |
Mick DOOHAN |
19 |
NSR500 |
|
80 |
1995 |
03.26 |
01 |
Australia |
Mick DOOHAN |
20 |
NSR500 |
|
81 |
04.02 |
02 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
21 |
NSR500 |
|
82 |
05.07 |
04 |
Spain |
Alberto PUIG |
|
NSR500 |
|
83 |
06.11 |
06 |
Italy |
Mick DOOHAN |
22 |
NSR500 |
|
84 |
06.24 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
23 |
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
85 |
07.09 |
08 |
France |
Mick DOOHAN |
24 |
NSR500
-60勝
|
|
86 |
07.23 |
09 |
Great Britain |
Mick DOOHAN |
25 |
NSR500 |
|
87 |
09.24 |
12 |
Argentin |
Mick DOOHAN |
26 |
NSR500 |
|
88 |
10.08 |
13 |
Europe |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
1-2-3-4位独占 |
89 |
1996 |
03.31 |
01 |
Malaysia |
Luca CADALORA |
|
NSR500 |
1-2-3位独占 |
90 |
04.07 |
02 |
Indonesia |
Mick DOOHAN |
27 |
NSR500 |
|
91 |
05.12 |
04 |
Spain |
Mick DOOHAN |
28 |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
92 |
05.26 |
05 |
Italy |
Mick DOOHAN |
29 |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
93 |
06.09 |
06 |
France |
Mick DOOHAN |
30 |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
94 |
06.29 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
31 |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
95 |
07.07 |
08 |
Germany |
Luca CADALORA |
|
NSR500
-70勝
|
1-2-3位独占 |
96 |
07.21 |
09 |
Great Britain |
Mick DOOHAN |
32 |
NSR500 |
|
97 |
08.04 |
10 |
Austria |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
|
98 |
08.18 |
11 |
Czechoslovakia |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
|
99 |
09.01 |
12 |
Italy |
Mick DOOHAN |
33 |
NSR500 |
1-2-3位独占
500cc通算500レース |
100 |
09.15 |
13 |
Europe |
Carlos CHECA |
|
NSR500 |
1〜8位独占
500cc通算100勝達成 |
101 |
10.06 |
14 |
Brazil |
Mick DOOHAN |
34 |
NSR500 |
|
102 |
1997 |
04.13 |
01 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
35 |
NSR500 |
1-2-3位独占
連勝スタート |
103 |
04.20 |
02 |
Japan |
Mick DOOHAN |
36 |
NSR500 |
1-2-3-4-5-6位独占 |
104 |
05.04 |
03 |
Spain |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
105 |
05.18 |
04 |
Italy |
Mick DOOHAN |
37 |
NSR500
-80勝
|
|
106 |
06.01 |
05 |
Austria |
Mick DOOHAN |
38 |
NSR500 |
|
107 |
06.08 |
06 |
France |
Mick DOOHAN |
39 |
NSR500 |
1-2-3-4-5-6位独占 |
108 |
06.28 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
40 |
NSR500 |
|
109 |
07.06 |
08 |
Italy |
Mick DOOHAN |
41 |
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
110 |
07.20 |
09 |
Germany |
Mick DOOHAN |
42 |
NSR500 |
1-2-3-4位独占 |
111 |
08.03 |
10 |
Brazil |
Mick DOOHAN |
43 |
NSR500 |
|
112 |
08.17 |
11 |
Great Britain |
Mick DOOHAN |
44 |
NSR500 |
1-2-3-4位独占 |
113 |
08.31 |
12 |
Czechoslovakia |
Mick DOOHAN |
45 |
NSR500 |
|
114 |
09.14 |
13 |
Europe |
Mick DOOHAN |
46 |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
115 |
09.28 |
14 |
Indonesia |
Tadayuki OKADA |
|
NSR500
-90勝
|
1-2-3-4位独占 |
116 |
10.05 |
15 |
Australia |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
Honda完全優勝 |
117 |
1998 |
04.05 |
01 |
Japan |
Max BIAGGI |
|
NSR500 |
|
118 |
04.19 |
02 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
47 |
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
119 |
05.03 |
03 |
Spain |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
120 |
05.17 |
04 |
Italy |
Mick DOOHAN |
48 |
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
121 |
05.31 |
05 |
France |
Alex CRIVILLE |
|
NSR500 |
1-2-3-4-5位独占 |
122 |
06.14 |
06 |
Spain |
Carlos CHECA |
|
NSR500 |
|
123 |
06.27 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
49 |
NSR500 |
22連勝達成 |
124 |
07.19 |
09 |
Germany |
Mick DOOHAN |
50 |
NSR500 |
1-2-3-4位独占 |
125 |
08.23 |
10 |
Czechoslovakia |
Max BIAGGI |
|
NSR500
-100勝
|
1-2-3-4位独占 |
126 |
09.06 |
11 |
Italy |
Mick DOOHAN |
51 |
NSR500 |
1-2-3-4位独占 |
127 |
09.20 |
12 |
Europe |
Mick DOOHAN |
52 |
NSR500 |
|
128 |
10.04 |
13 |
Australia |
Mick DOOHAN |
53 |
NSR500 |
|
129 |
10.25 |
14 |
Argentin |
Mick DOOHAN |
54 |
NSR500 |
ドゥーハン最後の優勝
1-2-3位独占 |
|
|
|
|
|
|
ドゥーハンはこの98年シーズンに8勝をマーク。5年連続でタイトルを獲得するとともに、通算で54勝という圧倒的な勝利数を築き上げ、その牙城は揺るぐことないものに見えた。グランプリ初挑戦から10年、ドゥーハンは500ccクラスにおいて、そのタイトル獲得数、優勝数ともに、伝説の巨人ジャコモ・アゴスチーニに次ぐ記録をマークしていた。 |
|
|
だが、運命の99年シーズン、ドゥーハンは開幕2戦を落とし、満を持して迎えた第3戦スペインの予選中に転倒。この負傷によってついに彼はグランプリの第一線から退く決意を固めることとなった。 |
|
ドゥーハンが抜けた99年、レプソルHondaの後輩であるクリビーレがその後を継ぎ、見事Hondaのタイトル連取に成功した。しかし、ドゥーハンのあまりにも強大であった王者の存在感のため、99年、2000年のシーズンは「ドゥーハン不在のレース」という印象が拭い切れなかった。 |
|
|
|
|
また、2000年のHondaはマシン開発の方向性にも苦しみ、MVアグスタが保持していたクラス通算最多勝記録を塗り替える500ccクラス通算140勝を第6戦イタリアで達成したものの、6年間保持していた500ccクラスタイトルを失うこととなった。 |
|
|
|
その2000年がHondaに乗る最初のシーズンとなったバレンティーノ・ロッシは、この年500ccルーキーイヤーでランキング2位を獲得。そして迎えた2001年、開幕戦鈴鹿でのHonda
GP通算500勝の達成を皮切りにシーズン11勝を上げたロッシは、参戦2年目にしてシリーズタイトルを手中にした。同じイタリアンのマックス・ビアッジ等のライバルとの激しいバトルはシーズンを通して続き、ドゥーハン時代の完全なる幕引きを印象付けた。 |
|
500cc
通算優勝数 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
グランプリ |
ライダー |
マシン |
備考 |
130 |
1999 |
05.09 |
03 |
Spain |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
|
131 |
05.23 |
04 |
France |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
|
132 |
06.06 |
05 |
Italy |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
|
133 |
06.20 |
06 |
Europe |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
134 |
06.27 |
07 |
Netherlands |
Tadayuki OKADA |
NSR500 |
|
135 |
07.04 |
08 |
Great Britain |
Alex CRIVILLE |
NSR500-110勝 |
|
136 |
08.22 |
10 |
Czechoslovakia |
Tadayuki OKADA |
NSR500 |
|
137 |
09.05 |
11 |
Italy |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
|
138 |
10.03 |
13 |
Australia |
Tadayuki OKADA |
NSR500 |
|
139 |
2000 |
05.14 |
05 |
France |
Alex CRIVILLE |
NSR500 |
|
140 |
05.28 |
06 |
Italy |
Loris CAPIROSSI |
NSR500 |
500cc通算140勝達成 |
141 |
06.24 |
08 |
Netherlands |
Alex BARROS |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
142 |
07.09 |
09 |
Great Britain |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
143 |
07.23 |
10 |
Germany |
Alex BARROS |
NSR500 |
|
144 |
10.07 |
14 |
Brazil |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
145 |
2001 |
04.08 |
01 |
Japan |
Valentino ROSSI |
NSR500-120勝 |
Hondaグランプリ通算
500勝達成 |
146 |
04.22 |
02 |
South Africa |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
147 |
05.06 |
03 |
Spain |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
148 |
06.03 |
05 |
Italy |
Alex BARROS |
NSR500 |
|
149 |
06.17 |
06 |
Spain |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
150 |
07.08 |
08 |
Great Britain |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
500cc150勝達成 |
151 |
08.26 |
10 |
Czechoslovakia |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
152 |
09.09 |
11 |
Portugal |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
153 |
10.07 |
13 |
Pacific |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
1-2-3位独占 |
154 |
10.14 |
14 |
Australia |
Valentino ROSSI |
NSR500 |
|
155 |
10.21 |
15 |
Malaysia |
Valentino ROSSI |
NSR500-130勝 |
|
156 |
11.03 |
16 |
Rio |
Valentino ROSSI |
NSR500-131勝 |
|
|
|
度重なる負傷から立ち直り、90年代中盤から後半の500ccクラスで絶対的な実力を示すとともに、究極の2ストロークレーサーとも言われるNSR500の進化に多大なる影響を与えたドゥーハンは、いまアドバイザーとして21世紀のHondaレース活動を支え、さらに新時代のワークスマシンRC211Vの開発にも多くの貴重な助言を与えている。
静かなる不屈の闘志。継続と安定による圧倒的な戦績。Hondaレース活動に多大な功績を残したドゥーハンの名は、長くその歴史に刻まれるに相応しい、圧倒的なものだった。
|
|
|