2002年、世界選手権ロードレースは500ccクラスをMoto GPへと移行し、大幅なレギュレーション変更を実施する。この変革は1949年のグランプリ創設以来最大のものであり、53年にわたるグランプリの歴史は、ここにひとつの大きな区切りを迎えることとなる。
本稿では、これまで…
Hondaが世界GPに挑戦を開始したのは1959年。この時は125ccクラスへの参戦だった。翌1960年には250ccクラスにも参戦を開始し、1961年には125/250cc両クラスで初優勝/初タイトルを獲得することに成功する。
そして、1962年には50ccクラスと350ccクラスにも進出し、計4クラスへと戦線を拡大した。125、250、350は、順調な戦績を残してシーズンを進むことになり、3クラスともライダー/メーカーチャンピオンを獲得。そして3クラスとも優勝を逃したのはわずか1戦のみという、圧倒的な勝利と言って良い成績を収めている。
しかし、50ccクラスのレースでHondaは苦戦を強いられ続けた。開設されたばかりのGP最小排気量クラスである50ccは、完全に2ストローク勢のものだった。開幕2戦をクライドラー、続く4戦を連続してスズキ、そしてまたクライドラーが2勝と続き、Hondaは毎戦にわたって入賞を果たすも、2位に2回、3位に3回など、優勝に手が届かぬままシーズン終盤を迎えていた。
圧倒的な2ストローク勢の勢力を実感したHondaは、翌1963年シーズンの50ccクラスの活動を半ば休止せざるを得なかった。チームの主力を125、250、350ccクラスに結集し、タイトル獲得に全力を傾注したのは言うまでもない。そして1963年のシーズン中、沈黙を守った50ccクラスの最終戦において、Hondaは2気筒マシンを投入。ルイジ・タベリは、予選トップから一度もその座を明け渡すことなくブッチギリの優勝…32秒もの大差をつけてポールtoウィンを達成した。
そしてこの勝利は、その後のこのクラスにおけるHondaの活躍を予測させるものだった。翌1964年には3勝をマーク。惜しくもタイトルを逃したものの、ライダー/メーカーともランキング2位を獲得し、4ストロークがこのクラスで充分に戦っていけることを力強くしめした。
初挑戦は1962年。初レースこそリタイヤに終わったが、2戦目のダッチTT(1962年6月30日)には早くも初優勝を達成。この年残りのレースすべてを制し、挑戦初年度にしてライダー/メーカーの両タイトルを手中にしている。
続く1963年も、全7戦中5戦に優勝。勝てなかった2戦でも2位に入り、2年連続でライダー/メーカータイトルを獲得している。そして1964年にはHondaパワーが一気に爆発。350ccクラス全8戦をジム・レッドマンとRC172の最強コンビが圧倒し、パーフェクトウィンを達成するとともに、ライダー/メーカータイトルを連取。
ライバルもこの勢いを止めることは出来ず、1965年もレッドマンとRC172のコンビは優勝街道を突き進む4連勝を達成。シーズン後半に入ったアルスターGPで転倒負傷し3戦で無得点となるが、最終戦には2位に入賞して見事復帰をはたし、Hondaとレッドマンにとって4年連続のライダー/メーカータイトルを獲得する。
グランプリにおける、ワンシーズンの最多優勝記録は、Hondaによる1997年の500ccクラスで、15勝。250ccクラスでは、アプリリア(イタリア)が13勝の記録(1998年)を持ち、Hondaは12勝の記録を2回(1987年、1997年)達成している。125ccクラスではHondaが13勝(1993年)でトップ。
3クラスを合計した優勝数では、1997年のHondaによる31勝がトップ。この年Hondaは、500ccクラスで15勝の記録を達成し、250ccクラスでは12勝。125ccクラスでも4勝を挙げている。
GPの連勝記録は、グランプリがスタートした1949年から記録されることとなった。125ccクラスにおけるモンディアル(イタリア)は、初年度49年の第1戦から連勝を続け、3年目の51年の最終戦までの10戦連続という記録を打ち立てている。
そして、このモンディアルの連勝をストップさせたのが、イタリアの雄MVアグスタだった。50年代におけるMVの勢力はまさに圧倒的であり、Hondaをはじめとする日本勢がGPに挑戦を開始するまで、その王国は揺るぎないものだった。そのMVは、500ccクラスにおいて1958年〜1960年にわたって、14連勝という快挙を達成している。群雄が割拠する当時のGPにおいて、この記録はまさに不滅の金字塔と呼ぶに相応しいものだった。
そのMVの記録を破ったのが、Hondaだった。1961年、250ccクラス第2戦西ドイツGPに優勝したのが、高橋国光。そして250ccクラスにおけるHondaは、この時から偉大な記録に向かって突き進み始めた。1961年シーズンは5人のライダーによって、続く1962年にも4人のライダーによって、連勝記録は伸ばし続けられた。
1961年5月14日から1962年9月9日までの483日間、Hondaは250ccクラスにおいてその牙城を守り続けた。1962年の最終戦であるアルゼンチンGPを欠場したことで、この連勝記録はストップしているが、出走していれば間違いなく優勝を手にしたことだろう。
この連勝記録はその後6年の間、破られることはなかった。しかし、その記録を破って再び連勝記録のトップに立ったのがMVだった。MVは1968年から1969年にかけて、500ccクラスで20連勝をマーク。この大記録は、1998年にHondaによって破られるまで、GPの歴史に営々と横たわることとなった。