『1966年世界選手権レ−ス 本文−1』へ戻る
異議をとなえたホンダ

 巷間噂されたのは「お膝元の鈴鹿ではなく富士に移ってホンダはヘソを曲げた」といった次元の低いものだったが、真実はもっとシリアスなものだった。開場当時から危険性が指摘されていた富士の第1コーナー/30度バンクを試走したホンダは、レースでこれを使用することに反対し、ショートカットのコースでの開催を願い出た。しかしその案は受け入れられず、レース全体とライダーの安全を重視したホンダは仕方なく出場を断念した。

 それまでにも、モンツァのバンク使用の危険性を指摘しサーキット側がそれに同意し、コース変更が行なわれたことなどもあり、ホンダの申し出は富士に限ったことではなかったのだ。そしてホンダを欠いたまま富士での日本GPは開催されたが、実際にレースに参加したライダーから危険であるとの意見が多数く聞かれ、翌1967年にはショートコースを使っての日本GP開催となっている。さらに、その後富士の第1コーナー/30度バンクは完全に使用されなくなった。その直接の原因は、バンク自体ではなく、そこに進入する際の高速の先陣争いから死亡事故が発生したことだったが、いずれにしてもホンダの申し出が間違っていなかったことが証明されることになった。

「レーシング」の源流