日記帳の1967年7月4日に
記載されている「RS67U」の
基本レイアウトの決定。
(ミッションのファイナルシャフト
は記入漏れのようだ)
 RJ66ケ−ス:刻印は「J6-53」
.. @スペイン A西ドイツ Bフランス CTTレース Dオランダ
1 Read Y4W Bryans H6 Ivy Y4W Hailwood H6 Hailwood H6
2 Bryans H6 Read Y4W Read Y4W Read Y4W Ivy Y4W
3 Medrano Bultaco Rosner MZ Hailwood H6 Bryans H6 Bryans H6
4 Molley Bultaco Findley Bultaco Bryans H6 Simmonds Kawasaki Woodman MZ
5 Robb Bultaco Marsovsky Bultaco Woodman MZ Smith Kawasaki Simmonds Kawasaki
6 Giro OSSA Schmid Bultaco Rosner MZ Chatterton Y Molley Bultaco
.
.. Eベルギー F東ドイツ Gチェコ Hフィンランド .
1 Ivy Y4W Read Y4W Read Y4W Hailwood H6
2 Hailwood H6 Ivy Y4W Ivy Y4W Ivy Y4W
3 Bryans H6 Bryans H6 Hailwood H6 Woodman MZ
4 Woodman MZ Rosner MZ Bryans H6 Marsovsky Bultaco
5 Molley Bultaco Molley Bultaco Rosner MZ Stevens Paton
6 Marsovsky Bultaco Marsovsky Bultaco Woodman MZ Stanton Aerma
.
.. Iアルスター Jイタリア Kカナダ L日 本
1 Hailwood H6 Read Y4W Hailwood H6 Bryans H6
2 Bryans H6 Ivy Y4W Read Y4W 本橋明泰 Y4W
3 Ivy Y4W Bryans H6 Bryans H6 浜野 順 Y
4 Woodman MZ Rosner MZ Hamel Y Robb Bultaco
5 Steenson Aerma Woodman MZ Camillier Y Milani Aerma
6 Marsovsky Bultaco Molley Bultaco Grant S Ivy Y4W
クラス 順位 @西ドイツ ATTレース Bオランダ Cベルギー D東ドイツ
500cc@ 1 Agostini MV 3 Hailwood Honda Hailwood Honda Agostini MV 3 Agostini MV 3
2 Williams Matchless Williams Matchless Agostini MV 3 Hailwood Honda Hartle Norton
3 Findley Matchless Spencer Norton Williams Matchless Stevens Paton Findley Matchless
4 Fitton Norton Cooper Norton Shorey Norton Findley Matchless Dodds Norton
5 Nelson Norton Stevens Paton Marsowszki Matchless Marsowszki Matchless グル−ド Norton
6 Conn Norton Hartle Matchless Conn Norton Minter Norton Shorey Norton
.
クラス 順位 Eチェコ Fフィンランド Gアルスター Hイタリア Iカナダ
500ccA 1 Hailwood Honda Agostini MV 3 Hailwood Honda Agostini MV 3 Hailwood Honda
2 Agostini MV 3 Hartle Matchless Hartle Matchless Hailwood Honda Agostini MV 3
3 Cooper Norton Nelson Norton Findley Matchless Bergamonti Paton Duff Matchless
4 Marsowszki Matchless グラナ−ド Matchless ブランチャ−ド URS4 Stevens Paton ロイド Matchless
5 Hartle Matchless Stevens Paton Spencer Norton マンドリ−ニ Guzzi ジョ−ジエイズ Velocette
6 Dodds Norton ホ−ソ−ン Norton Cooper Matchless Hartle Matchless ロケット Norton
クラス 順位 @西ドイツ ATTレース Bオランダ C東ドイツ
350cc@ 1 Hailwood H6-297 Hailwood H6-297 Hailwood H4? Hailwood Honda
2 Agostini MV 3 Agostini MV 3 Agostini MV 3 Agostini MV 3
3 Pasolini Benelli Woodman MZ Pasolini Benelli Woodman MZ
4 Pagani Aerma Pagani Aerma Stevens Paton Carruthers Aerma
5 Carruthers Aerma Conn Norton コ−スナ− MZ Rosner MZ
6 Milani Aerma Milani Aerma Carruthers アエルM Shorey Norton
.
クラス 順位 Dチェコ Eアルスター Fイタリア G日 本
350ccA 1 Hailwood H6-297 Agostini MV 3 Bryans H6-297 Hailwood H6-297
2 Rosner MZ Bryans H6-297 Grasetti Benelli Bryans H6-297
3 Woodman MZ Rosner MZ Rosner MZ 三室恵義 野口Y
4 Havel Jawa Carruthers Aerma Pagani Aerma 和田正宏 K
5 Pagani Aerma Steenson Aerma Woodman MZ Milani Aerma
6 Stasa CZ マッグレガ− Norton Stevens Paton 従野正巳 吉村H
 昨年に引き続き、ホンダ(Hailwood)と、MV3気筒(Agostini)の対決となった。最終のカナダGPに両タイトルの決定が持ち越されたが、全レ−スを終わっての得点は、ホンダ(Hailwood)がGGGGGEE、MV(Agostini)がGGGGGEEEで、メ−カ−タイトルはMVに、個人タイトルはAgostiniに決定した。MVは昨年ホンダに奪われたメ−カ−タイトルを奪回し、Agostiniは2年連続のチャンピオンとなった。
 昨年に引き続き、ホンダ(Hailwood)と、MV3気筒(Agostini)の対決となった。なお、ホンダは新開発の297cc6気筒を投入してきた。第1戦の西ドイツGPから第5戦チェコスロバキアGPまでホンダHailwoodが5連勝し、メ−カ−タイトルを6年連続ホンダが、個人タイトルは2年連続Hailwoodが獲得した。
 日本GPには、カワサキが2サイクル空冷2気筒(A7-S)で金谷秀夫・安良岡健・和田正宏・Cooperを出場、和田が4位に入った。
(4)350cc
 第12戦カナダGPを終えて、ホンダの6勝、ヤマハの6勝。個人選手権の方もHailwoodの5勝、Readの4勝と両タイトルの行方は、最終第13戦日本GPに持ち越された。
 日本GP(33周)は大荒れで、5周目長谷川弘をとらえ、トップに立ったHailwoodが6周目トラブルリタイア。Readは不調で5位を走っており、5周を終わってリタイア。長谷川は25周まで快調にトップだったがトラブルリタイア。代わって首位に立ったIvyも30周目リタイア。結果はBryansの優勝となった。これで
メ−カ−タイトルは昨年に続きホンダに決定。個人タイトルは、HailwoodがGGGGGECの50得点、ReadがGGGGEEEで同じく50得点、優勝回数の多いHailwoodにタイトルが決定した。
 なお、スズキの瀬崎英征がTR250で出場し、7位となった。また、スズキの元ライダ−越野晴雄が吉村ホンダで出場したが、中盤でリタイアした。
(3)250cc
(5)500cc
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(6)「9年間のレ−ス担当」から他部門へ転出

 10月15日の日本GPも終わり、Anscheidt・Grahamは来年度マシンの要望などを打合せて、18日に帰国した。我々レ−ス担当者は、RP(水冷50cc3気筒)・RS(水冷125cc4気筒)の熟成を目指し業務を開始した。それから、数日がたった24日、岡野武治研究部長(レ−ス総監督)に呼ばれ、思いがけないことを聞くことになった。「レ−ス部門を縮小することになった。中野は数名を連れて、四輪設計部門へ転出し、軽自動車用360cc(当時軽自動車の規格は360ccだった)の4ストロ−クエンジンの開発をやれ!」という命令だった。そして、11月1日には正式の辞令が出た。第3回の浅間以来、ずっとレ−ス一途に過ごしてきた小生にとっては、数日間は頭の切り替えが出来なかったような記憶がある。
 なお、この時点では、まだ「1968年以降の選手権レ−ス参加の取り止め」は決定されておらず、正式に「取り止め」が発表されたのは、小生が四輪部門転出後、4ヶ月近くたった1968年2月21日のことだった。
また、ホンダもシーズンの終了後、GPからの一時撤退を発表した。
14段ミッションのRK67
TTレ−ス優勝のGraham・
神谷安則・2位のAnscheidt
TTレ−ス優勝のGraham
RK67
 RK67マシンは、RK66で採用した「コンロッド大端を強制潤滑するためのメカニカルオイルポンプ」は取りやめ、冷却方式を「自然循環方式」から、ウオ−タ−ポンプを採用した「強制循環方式」に変更し、ミッション段数は14速、12速のどちらも組み込み可能とし、性能向上をはかった。ホンダは不参加。スペインのDerbiがフル出場した。
(1)50cc
殆どの画像はクリックすると大きくなります
 1966年のDegner・Anderson・Perrisの引退により、50ccはAnscheidt・片山義美・新規契約のGraham(前年ベルギーGPでホンダRedman負傷後、後半戦の250ccに出場)・TTレ−ス中心に伊藤光夫、125ccは片山義美とGrahamで戦うことになった。ホンダは50・125ccは不参加。ヤマハ125は、1966年のアルスタ−GP公式練習で姿を見せた「水冷4気筒マシン」で第1戦のスペインGPより出場、ライダ−はIvy・Read。カワサキ125は「水冷2気筒マシン」でSimmondsが出場した。その他の特筆すべきこととしては、350ccクラスで、ホンダが新開発の6気筒(297cc)をHailwoodでフル出場させたことが上げられる。
 なお、1967年シ−ズンを最後に、スズキは世界選手権レ−スから撤退することになる。
[1967年世界選手権レ−ス]
第4戦TTレ−ス:Ivyは1周目不調でピットインR。片山は1周目10秒前スタ−ト のReadに追いついたがBallacrainを過ぎた所で焼付R。その後、GrahamとReadのTop争いとなり最終LapのSulby迄Grahamがリ−ドしていたが、後半のReadのダッシュで 優勝を逸す。40秒差でスタ−トした両者は互いに姿を見ることなく全3周を通じ、常に5秒と開かぬ僅差のレ−スであった。結果は、Read・Graham・本橋・Simmondsの順。
片山のトラブルの原因は、スタ−ト前のウオ−ミングアップ後、冷却水温低下防止用の シ−トを取り忘れてスタ−トしたことだった。(メカニックも所詮人間!!)
第5戦のオランダGP:Read、Ivyともにスタ−ト悪く、1周目 片山・Grahamとの差は25秒。片山のMachineは途中から調子がくずれ、10LAP目Read、12LAP目Ivy、13LAP目Grahamに抜かれ4位。Grahamは 11LAP目Ivyに抜かれる。結果はRead・Ivy・Graham・片山の順。
第6戦東ドイツGP:1周は、片山が断然リ−ドしGrahamが2位、スタ−トで遅れたIvyと、Readはやっと、3.4位に上がった。片山が3周でピストン焼付でリタイアしたあと、Ivyが TOPにたち、そのままゴ−ルした。結果は、Ivy・Read・Grahamの順。
第7戦チェコスロバキアGP:片山は1周より TOPにたったが、5周目よりエンジン不調となり7周目クランク焼付でリタイア。Readは1周より2位を保っていたが5周目リタイア。Ivyは1周目4位であったが、6周目 TOPにたった。優勝Ivy、2位Graham。
第8戦フィンランドGP:片山は不参加。Grahamはスタ−ト良く、1周目はReadを 6.5秒離したが、5周目に 抜かれる。Ivyは、その間2回ピットイン。9周目 TOPのReadがトラブルリタイアし、Grahamが優勝、2位Ivy、3位Simmonds。
第9戦アルスタ−GP:片山は不参加。Grahamは2周までIvy・Readにピッタリついていたが、失火のため遅れはじめ、5・6周にピットインしプラグ交換したが、3位を確保した。(右クランクベアリングの焼付)
結果は、Ivy・Read・Grahamの順。ここでヤマハは125ccで、初のメ−カ−タイトルを獲得した。
第10戦イタリアGP:スズキは不参加、Anscheidtが RT66で 個人出場 。Anscheidtはスタ−ト良く TOPを奪う。Ivyはエンジンがかからずかなりの遅れ。しかし、9周目にはAnscheidtに近づいたが、エンジン不調となり2度のピットイン。しかし最終周に TOPを奪う。Ivy、執念のレ−スで優勝、2位Anscheidt。ここでIvyが個人タイトルを獲得した。
第11戦カナダGP:スズキは不参加。Ivyは、2度も冷却水補給のためピットインしたが、他を2周以上引き離して楽勝。
第1戦のスペインGP:スタ−トは片山がトップでReadがすぐ続き、Ivyはやヽおくれる。1、2周は3名が一団となって通過。3LAPにIvyが飛び出し、Ivy・Readと片山の差が開き始める(ガス濃し)。7LAPよりIvy、Readとの差も開き始め、Ivyの独走態勢となる。最終近くReadと片山の差がジリジリと迫ったが遂に及ばず。(片山は後半バラバラ走行−分解後コンロッド大端の右リテ−ナ−破損が判明)結果は、Ivy・Read・片山・Grahamの順。
第2戦の西ドイツGP:Readスタ−ト悪く、Ivyも最後尾スタ−ト。1LapはAnscheidt、片山、Read、GrahamでIvyは7位。2LapでReadがTopに出、Ivyの追い込みもの凄く、4Lapで片山を抜き2位。5LapでTopに出る。その後もヤマハ勢に大きく離されたが、9Lapの最終コ−ナ−で1周おくれの車の転倒をよけそこないIvy、Read共に転倒リタイア−。片山が優勝を拾う。Grahamは2Lapまで4位だったが、4周目ピットインし再スタ−ト。10周目再ピットインし、リタイア−。(原因はタンクキャップ不良によるフロ−トのオ−バ−フロ−か?)KawasakiのSimmondsはずっと5位をキ−プしており、ヤマハ勢転倒で3位に上がったが、10周目リタイア−。結果は、優勝 片山義美、2位Anscheidt。
第3戦のフランスGP:結果は、Ivy・Read・片山・Grahamの順。
オランダGPで終盤まで
トップだったが調子が落ち
4位となった片山義美
うしろはRead
西ドイツGPで拾いモノの
  優勝の片山義美と
  2位のAnscheidt
RT67U
 1967年125ccクラスは、ホンダは不参加。ヤマハは初戦のスペインGPから、昨年のアルスタ−GP公式練習で姿を見せた「水冷4気筒マシン」を出場させてきた。スズキも今年こそは「3気筒マシン」または「4気筒マシン」を出場させるべく、開発を進めてきていたが、まだ全ての問題を解決できず、水冷2気筒の「RT67U(ボア×ストロ−ク 43φ×42.6」で出場することになった。RT67Uは、RK67と同様にRT66で採用した「コンロッド大端を強制潤滑するためのメカニカルオイルポンプ」は取りやめ、冷却方式を「自然循環方式」から、ウオ−タ−ポンプを採用した「強制循環方式」に変更し、ミッション段数を10速とし、性能向上させたマシンだった。
(2)125ccは、3・4気筒の開発が遅れヤマハ水冷4気筒に屈する
「Team Suzuki」に掲載されている「スクエアタイプの RP66」
      (左の2気筒は一体型のシリンダ−)
筆者が記念に持っている 直径28φ の RP のピストン
   (左のスケ−ルの長さは、50ミリである)
日本GP 公式練習で走った 幻の RP66 「50ccスクエアタイプの水冷3気筒」

 RK65・RK66(水冷2気筒)の次機種として、RP66(水冷3気筒 28φ×27)が計画されたのは、1966年5月だった。レイアウトはスクエア−(Square)水冷4気筒の右うしろの気筒がない形式である。開発にてまどり、2気筒の出力を上回って初走行テストにこぎつけたのは、1967年2月13日だった。しかし、19000rpmという高回転数、パワ−バンドの狭さなどの問題で、そう簡単にRKの2気筒に、とってかわるわけにはいかなかった。そこで、初出場を日本GPと決め、性能向上に努力し、日本GP前には、出力18〜19PSを得るまでになった。しかし、メ−カ−タイトルは第4戦のTTレ−スで、個人タイトルは第6戦のベルギ−GPでAnscheidtに決定していたこともあって、日本GPの直前、レ−スへの出場をとりやめることに決定した。だが、公式練習では伊藤光夫が2〜3周の試走を行った。
 日本GP終了後、1968年シ−ズンに向け RP68(Vタイプの水冷3気筒)が試作手配されたが、1968年の選手権レ−ス参加取りやめの、大方針が出され、RP68 はテストされることもなく運命を終えた。RP68 については、1968年の本文に記載する。以上の経緯で「50cc水冷3気筒」は、レ−スに出場する機会がなく『幻のマシン』となったのである。小生はこの小さな28φのピストンを今も記念に持っている。

 RP66 の完成マシン、エンジンの写真は、残念ながら ないので、・・・下の2枚を掲載する。
. @スペイン A西ドイツ Bフランス CTTレース Dオランダ Eベルギー F日 本
1 Anscheidt S2W Anscheidt S2W 片山義美 S2W Graham S2W 片山義美 S2W Anscheidt S2W 伊藤光夫 S2W
2 片山義美 S2W Schalze K Anscheidt S2W Anscheidt S2W Nieto Derbi 片山義美 S2W Graham S2W
3 Grau Derbi Busquets Derbi Graham S2W Robb S Smith Derbi Graham S2W 河崎裕之 S2W
4 Bordons Derbi Smith Derbi Smith Derbi Walpole H Anscheidt S2W Nieto Derbi Anscheidt S2W
5 Crivello Derbi Gedlich K Nieto Derbi Griffiths H Toersen K Toersen K Smith Derbi
6 Nieto Derbi Reinhard Reimo Crivello Derbi Lawley H Lodewijkx Yamathi Lodewijkx Yamathi 赤松 勝 AE-BS
日本GP初出場の谷野明年5位で
6周目転倒リタイア
日本GP3位の
 河崎裕之(GP初出場)
日本GP2位の
  Graham
日本GP優勝の伊藤光夫
(1963年のTTレ−ス以来2度目)
 第1戦のスペインGPは、Anscheidt・片山義美が1−2位。第2戦の西ドイツGPは、Anscheidtが優勝。第3戦のフランスGPは、片山義美・Anscheidt・Grahamが1−2−3位。第4戦のTTレ−スは、Graham・Anscheidtが1−2位。ここで4度目のメ−カ−タイトルが決定した。伊藤光夫は、公式練習で転倒し手首骨折で 欠場。第5戦のオランダGPは、片山義美・Anscheidtが1−4位。第6戦のベルギ−GPは、Anscheidt・片山義美・Grahamが1−2−3位。ここでAnscheidtの2年連続の個人タイトルが決定した。最終の第7戦の日本GP(富士スピ−ドウエイ)には、遠来のスペインDerbiに乗るNieto・Busquets・Smithが出場、BSも出場した。結果は、スズキの伊藤光夫・Graham・河崎裕之(初出場)・Anscheidtが1−2−3−4位、DerbiのSmithが5位、BSの赤松勝が6位だった。スズキの谷野明年(初出場)は5位だったが転倒リタイア。
なお、1965年のTTレ−スで、ヤマハから彗星の如くデビュ−し、ヤマハ125ccで「水を得た魚・・・」のように、1966・1967年と超人的?な走りを見せた Ivy も、余り幸せなライダ−人生ではなかった。人々に、あれだけの強烈な印象を与えながら、個人タイトルを獲得したのは、本年の125ccの1度だけだった。そして、1969年東ドイツGP前日の公式練習(7月11日)、Jawa350ccに乗り事故死してしまった。
スズキも、第5戦のオランダGPには水冷スクエア4気筒マシンの『RS67(35.5φ×31.5)』を送り込むよう努力したが問題を抱えてNG。しかし最終の第12戦日本GPには性能面・耐久性面でも自信を持って水冷V型4気筒『RS67U』を富士スピ−ドウエイに持ち込み、雪辱を期した。だが「天はスズキに味方せず・・」自由走行第1日にエ−ス片山義美が転倒負傷し、レ−スに出場できず、伊藤光夫・Grahamで戦うことになった。Anscheidtは、水冷2気筒で公式練習には出たが、レ−スは欠場した。カワサキも、初登場の水冷スクエア4気筒で、森下勲・金谷秀夫が、2気筒で谷口尚己が出場した。
 レ−スは、草レ−スにもないような、競技役員のミスシグナルで、2周をまわってレ−スは中止された。即ち、スタ−ト30秒前の表示がされたにもかかわらず、レ−サ−の整列が遅れ、ウオ−ミングアップの終了してない車もあった。しかしシグナルは青に変わった。既に体制の整っていたスズキ勢は、ただちにスタ−ト。他のライダ−の多くは慌ててスタ−ト準備にかかり雑然としたスタ−トとなってしまった。直ちにシグナルは、赤に変えられたが、2周目でやっとレ−スは中止されるいう混乱した状態となった。このレ−ス進行の不手際に、スズキチ−ムからは、レ−サ−を引き揚げるまでの抗議を示した。特に、TOPで2周を回った伊藤光夫は猛烈な抗議を行った。審査委員会は、競技役員のミスを認め、スタ−トを40分遅れに決定したという経緯だった。再スタ−トとなったレ−スは、優勝Ivy、2位Graham、3・4位は1周おくれの金谷秀夫・森下勲、5位は2周おくれのBS滋野靖穂だった。伊藤光夫は、ピストンピンセットリングのはずれのトラブルで序盤にリタイア。

 スズキは、1968年以降、選手権レ−スから撤退したため、「水冷4気筒マシン」は、この日本GP出場が最初で最後のレ−スとなった。
2位となったRS67UのGraham
ミスシグナルで大もめ
RS67U
RS67U
. @スペイン A西ドイツ Bフランス CTTレース Dオランダ E東ドイツ
1 Ivy Y4W 片山義美 S2W Ivy Y4W Read Y4W Read Y4W Ivy Y4W
2 Read Y4W Anscheidt S2W Read Y4W Graham S2W Ivy Y4W Read Y4W
3 片山義美 S2W Szabo MZ 片山義美 S2W 本橋明泰 Y4W Graham S2W Graham S2W
4 Graham S2W Villa Montesa Graham S2W Simmonds K2W 片山義美 S2W Enderlein MZ
5 Villa Montesa Busquets Montesa Simmonds K2W Carruthers H Dongen H Heuschkel MZ
6 Medrano Bultaco Mann MZ Vergnais Bultaco Curry H Avery EMC Szabo MZ
.
. Fチェコ Gフィンランド Hアルスター Iイタリア Jカナダ K日 本
1 Ivy Y4W Graham S2W Ivy Y4W Ivy Y4W Ivy Y4W Ivy Y4W
2 Graham S2W Ivy Y4W Read Y4W Anscheidt S2W Coopey Y Graham S4W
3 Szabo MZ Simmonds K2W Graham S2W Szabo MZ Lusk Y 金谷秀夫 K4W
4 Heuschkel MZ Lenk MZ Carruthers H Scheimann H Dural Y 森下 勲 K4W
5 Scheimann H Carruthers H Cass Bultaco Burlando H Swegan Y 滋野靖穂 BS
6 Curry H Bischoff MZ Molley Bultaco Curry H Messina Y Smith Bultaco
開発に手間取った125cc「水冷4気筒」・「水冷3気筒」

 「水冷4気筒」の開発着手は、非常に早く、1964年11月にレイアウト(Square Type)を終え、12月に試作手配をし、RS65 と名付けた。1965年2月には、試作エンジンが完成し、ベンチテストを開始した。多くの問題が発生したが、最大の問題は、ケ−ス・オイル温度の上昇だった。全ミッションギアに強制潤滑方式を採用してみたりもし、12月にはやっと走行テストを実施するまでになった。

 1965年の日本GP後、「水冷3気筒」も並行開発しようということになり、RJ66 を12月に出図した。1966年2月には試作エンジンが完成し、ベンチテストを開始した。ちなみに、50cc「水冷3気筒」の RP66 を計画したのは、RJ66計画より あとの1966年5月であった。レイアウトは Square Type の右うしろの気筒がない RP66 と同形式であった。3月には走行テストするまでにこぎつけた。こうして1966年は、「4気筒の RS65」と「3気筒の RJ66」の並行開発テストを行なった。

 1967年の初めには、「4気筒」の目途がたち、3月に RS67 を製作手配した。RS67 はRS65 と同じの Square Type で、強制水冷、ミッションは12速を採用した。第1戦のスペインGPには、間に合わないが、第5戦のオランダGPには、出場させる計画だった。5月9日にはエンジンが完成し、テストを始めたが、思わぬ問題が発生し、オランダGPへの出場を諦めた。

 RS67 の問題点対策の目途がたち、RS67U(スクエアタイプでなく、並列2気筒を二階建てに配置したV型タイプ、強制水冷、ミッションは12速で全ギアに強制潤滑を採用、2気筒用マグネトを2個装着)を製作手配したのは7月22日、製作完了したのは、9月15日だった。テストを始めるといくつかの問題点が出てきた。即ち、ミッション強制潤滑用トロコイドポンプのためオイルタンク(最終的にはオイルクーラー)の装着、各気筒の冷却水温均等化のためにホース配管の変更、クランクピン折損事故が連続的に発生したため12φを13φに変更・・・と。こうして、10月10日に FISCO 持ち込み、15日の日本GPに、やっと出場することができた。なお、「2気筒づつの180度間隔爆発」と「90度間隔爆発」の両タイプもテストしたが、レースには、出力に勝った前者で出場した。
 RS4気筒の開発には非常に長い時間を要したが、その最大の原因はマグネトにあったようだ。2気筒用マグネトを2個装着することにより、出力面でもピストンのトラブル面でも問題が解消されたものと考えている。


RJ66 の完成マシン、エンジンの写真は、残念ながら ないが、スズキから流出し、今も現存している「ケ−ス」の写真を下に掲載する。この写真は、野田健一さんの「日本のファクトリ−レ−シングモ−タ−サイクル」(URL は、トップページに記載)から引用し掲載させていただいています。