野田健一さんの「日本のファクトリ−レ−シングモ−タ−サイクル」
(URL は Top Page に記載してあります) の中に、下記のような記事
があるので、参考に紹介しておきます。


気筒数・変速機段数制限はいつから始まった? 

  よく「1969年から50ccは単気筒、125cc、250ccは2気筒まで、350cc、500ccは4気筒までに、変速機段数はいずれも6段までに制限された。このため、ホンダ、スズキ、ヤマハはグランプリレースから撤退し、その隙間を縫ってカワサキ125cc2気筒に乗るDave Simmondsが1969年の125ccタイトルを手にした。」と書かれている。
  では、1969年の250ccチャンピオンマシンは? Kel CarruthersのBenelli 250cc気筒ではないか! 「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973八重洲出版)では気筒数・変速機段数制限は、50ccは1969年から、125cc、250ccは1970年から行われた、とある。また、オートバイ誌(1974シーズン前)には、350、500ccクラスの気筒数・変速機段数制限が始まる、とある。MV Agusta 350cc6気筒の開発が1960年代末に行われていたことからすると、そのとおりなのだろう。

   こういう大事な事実認識が不十分なまま、レース界の動きを理解しようとしても無理な話だなあ。でも1976シーズン前に「MVが6気筒を開発中とか」と書いていたNK氏(元グランプリライダー)に較べればましか。

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●1969年より大幅なレギュレーション変更

 世界選手権レ−ス出場マシンのレギュレーションは、排気量以外に特に規制がなく、1960年代には日本メ−カ−によるエンジンの多気筒化・高回転化が進み、ホンダ250cc6気筒、ホンダ125cc5気筒、50ccはホンダ・スズキの2気筒が開発され、高回転化に伴う狭いパワーバンドに合わせて、ミッション段数も多段化を余儀なくされ、RK67は14速ミッションを持つようになった。

 1969年から、FIMは大幅なレギュレーションの変更を加えた。気筒数について、50ccは単気筒125・250ccは2気筒以下、350ccは4気筒以下、500ccは4気筒以下に制限され、ミッション段数もすべてのクラスで6速以下、と変更となった。
 このレギュレーションの変更は、日本車が得意としてきた技術分野である小排気量の多気筒マシンの締め出しともいえるものであった。