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１９６２年

１９６２年世界選手権レ－ス ５０ｃｃ 得点表
順位 ライダー名 国籍 マシン 総得点 有効得点 スペイン フランス ＴＴレース ダッチＴＴ ベルギー 西ドイツ 東ドイツ イタリー フィンランド アルゼンチン
6 Race
1 Ernst DEGNER D Suzuki 41 41 - - 8 8 8 8 - - 3 6
2 Hans-Georg ANSCHEIDT D Kreidler 43 36 8 - 3 4 6 6 - 8 4 4
3 Luigi TAVERI CH Honda 33 29 4 4 6 - 4 3 3 1 8 -
4 Jan HUBERTS NL Kreidler 29 29 - 8 - 6 1 - 8 4 - 2
5 伊藤光夫 J Suzuki 24 23 - 1 2 2 - 4 6 6 - 3
6 Tommy ROBB GB Honda 17 17 2 3 4 - - - 2 - 6 -
7 Hugh ANDERSON NZ Suzuki 16 16 - - - - - - 4 3 1 8
8 鈴木誠一 J Suzuki 10 10 - 2 - 3 3 2 - - - -
9 高橋国光 J Honda 7 7 1 6 - - - - - - - -
10 Jose BUSQUET E Derbi 6 6 6 - - - - - - - - -
11 Walter GEDLICH D Kreidler 6 6 3 - - 1 2 - - - - -
12 森下　 勲 J Suzuki 2 2 - - - - - - - 2 - -
- 田中楨助 J Honda 2 2 - - - - - - - - 2 -
14 市野三千雄 J Suzuki 2 2 - - 1 - - 1 - - - -
15 Dan SHOREY GB Kreidler 1 1 - - - - - - 1 - - -
- Gunter BEER D Kreidler 1 1 - - - - - - - - - 1


一九六二年（昭和三十七年）－試練の年－

　私は年間の（そして次の年も）すべてのレースの局面をのべる時に何等かの形で私がそこに顔を出しておきたかった。そのうちの二、三はドラマチックなものであり、自分より他のものが目立つ場合もあるだろう。人は家にいて勝者としてレースを展開できるし、望むならば、技術的欠陥やライバルのすばらしい売り方、あるいは単純に他のマシンが出し得ないような最高スピードについてあれやこれや考えることもできるのだ。
　世界選手権者は、とにかくたいていは最終レースで決まることが多い。そのレース前にわくわくしながら、あるいは苦しい思いで、あるいは夢みごこちで成績表をつくる。
　GP一レースにつき、二十四点がわかちあたえられる。その分け方は、一位八点、二位六点、三位四点、四位三点、五位二点、六位一点となっている。そして七位以下の者には点はない。

ニュールブルクリンクー無意味なレース

　ニュールブルクサーキットの二十五周年記念式典が行なわれた。この式典はクライドラーの新車を祝うようなものだった。新聞はこの新車をほめたたえた。型もいいし、スピードも申し分ないと。私は途中、最高速度一〇七・六km／hで走り、ゲートリッヒとツロに勝った。
　しかし完勝といえるだろうか？　なるほどヨハン・ヒユーベルトとルディー・クンツはエンジンが故障してしまった。だが私のマシンは時計のような正確に走ったのだから。
　目標はあくまでスペインだ。ニュールブルクリンクでの喜びも結局は未来への大きな確信へとはつながらないのだ。この勝利で私はドイツ選手権六点を獲得した。

最初のGPレース八点獲得

　クライドラーは、バルセロナへ意気揚々と総勢四人を送りこんだ。ポルフガング・ゲートリッヒ、ルディー・クンツ、ヨハン・ヒューベルト、そして私。我々が最有力、という下馬評は我々にはかえって不利だった。この早くからの下馬評にまきこまれてしまいそうだった。
　レーシングライダーのえりぬきが多数参加した。そしてすべてのメーカーはその時の最良のマシンをレースに送りこんできた。ホンダがダブルカムマシンを四台、スズキがロータリーディスクバルブマシンを四台、ユーゴスラビアのトマスが三台、日本のトーハツが二台、スペインからはデルビが六台、ダクソンが三台出場したが、スペイン国内以外ではその名前は長い間知られていない。しかし、私たちにはこの無名のレーシングライダーが恐ろしいのだ。
　朝九時二十分に十二周のレースが始まった。モンディアルに乗ったイタリアのフランシスコ・ビラがとびだした。（彼は後半にはおくれてしまったが）彼の後ろにはホンダに乗った高橋国光（編注4）がぴったりついていた。しかし、その状態は一周も続かなかった。まずボルフガング・ゲートリッヒがトップにおどり出た。しかもそのスリップ・ストリームに、意外にも変速三段の二サイクルエンジンをつんだマシンであるデルビにのったスペインのブスケッツがいた。この時、三位はホンダに乗ったルイジ・タベリ、そしてその後ろが高橋だった。その直後、ルディ・クンツがカーブで転倒してリタイヤした。皮膚がむけただけだったのは神のめぐみだったろう。その直後にまたヨハン・ヒューベルトのエンジンがおかしくなった。明らかに乗り方がまずかったので、そのためにオーバーヒートしたのだ。私は三周目にかかるところで先頭に立った。私の後ろにゲートリッヒが、そしてその後ろに必死にブスケッツがくいさがっていた。ブスケッツの乗っているマシンは我々のマシンとくらべて性能的には落ちるはずだから、この大胆不敵ともいうべき乗り方に彼はすべてをかけているのであり、いまのところ、それでもっているようだ。
　ともかく、それでも計算どおりにホンダーたとえばタベリらは練習の時はもっともはやかったのだがーをこうまで引き離しているということはおどろきである。
　六周目をまわり終わって、私は依然トップであった。タベリがゲートリッヒを追い抜いた。しかし私の後ろにはエサをねらう野獣のように、まさに狂気の若者ともいうべきブスケッツがついていた。
　スペインの人たちは筆舌につくせない叫びを上げて彼に声援を送った。彼はデルビのマシンをどのように調整したのだろう？
　まず彼が八周目にはいった。しかし自分の制御しうるまでのスピードしか出さなかったので再び私は彼をつかまえた。いま一気にスパートして勝敗をつけるべきだろうか？
　いや！
　十一周目で彼はまた私に追いついてきた。まさに彼の走り方は大胆不敵としかいいようがない。とうとう彼を一〇〇メートル近くリードした。しかしそれ以上は開かなかった。
　私がゴールして二分の一秒後に彼もゴールに突進した。
　悪魔をもおそれぬ、まさにレース場の「ジェームス・ボンド」だ！
　結果は一位アンシャイト（クライドラー）九七・四二七km／h、二位ブスケッツ（デルビ）九七・三九二km／h、三位夕べり（ホンダ）九六・五四〇km／h、四位ゲートリッヒ（クライドラー）九五・九四四km／h、五位ロブ（ホンダ）九五・四一三km／h、六位高橋（ホンダ）同じく九五・四一三km／h。
　スペインでのこのレースは、本来はマイル計算の特別なものだった。そのために、平均時速をキロメーターに直した。
　スペイン勢が他のサーキットでは全然いいところがないのに、スペインのサーキットではいつも猛然たるスピードで走るのほ、情熱的なスペイン人の観衆の熱狂的な声援のためばかりとはいえないにしても、それが多少なりと影響しているようだ。
　バルセロナで私は八点を獲得した。実にすばらしい結果だった。
　ひそかに恐れていた日本勢が猛烈なスパートをすることはこのレースではなかった。わずかにルイジ・タベリの乗ったホンダがボルフガング・ゲートヒッヒの前にはいったのみだった。他のホンダはすべて彼より下位だった。この最初のレースの後の一九六二年（昭和三十七年）GPレースにむけて日本勢はまさに大変な努力を重ねてまき返しに出てくるだろうことは明らかであり、それを考えるとまだまだこわい相手だ。
　日本勢は決してあきらめない！
　ドイツへ帰る時間的余裕もないので、バルセロナのレース後、フランスのクレルモン・フェランでのレースまでの間を利用し、スペインでしばらくの間休養することにした。我々はスペインめ陽をいっぱい受けてのらりくらり暮らしていたら、気がついた時には眠られないほど日にやけてしまった。
　バルセロナでのレースの八日後、GP二番目のレースを準備するためにクレルモン・フェランへ向かった。

注2　ルイジ・タベリ 一九三〇年生まれ。スイス人。はじめサイドカーのライダーとして活躍していたが、一九四八年ソロライダーに転向、ハスクバーナ、ノートン、AIS、NSU、グッチ、MV、ドカテイ、MZ、ホンダと各種各様の車に乗ったベテラン。一九六二年度一二五CCクラス世界選手権者
注3 エルンスト・デグナー 一九三一年シレジレア（ドイツ共和国）生まれ、一九五七年MZ（東ドイツ）の契約ライダーとなる。一九六一年西ドイツに亡命。六二年よりスズキの契約ライダーとなる。一九六二年五〇CCクラス世界選手権者
注4　高橋国光（たかはし・くにみつ）　昭和十五年一月二十九日、東京都下小金井に生まれる。第一回全日本モーターサイクルクラブマンレース（昭和三十三年八月　於・浅間高原テストコース）三五〇CC級に初出場で優勝。昭和三十四年ホンダの契約ライダーとなり、世界GPに出場。以後数々のレースに優勝したが、一九六二年（昭和三十七年）マン島T・Tレースで転倒、負傷。一九六四年、日産のファクトリーチーム入り。レーシングドライバーとして活躍している。

　クレルモン・フェランではクライドラーに乗ったヨハン・ヒューベルトが勝った。
　クレルモン・フェランーいかめしい名前だ。ところで、誰かそこを見たことがあるか？　それはどこにあるのだ？　－アウフエルクネの高原にある。リオンから西へ約二〇〇キロのところだ。それは一周八キロで五二のカープがあり、容易ならぬ高低差があり、上り勾配、下り勾配のある非常に興味深いサーキットだ。
　もちろん、我々はツウの観衆が非常に興味をもっているように、ここでクライドラーの二サイクルとホンダの四サイクルが展開するだろうレースを想像して緊張していた。
　ホンダが日本から新しいシリンダーとピストンを取りよせたことを知った。この日本勢の処置ほ時機を得たものだった。取り寄せた部品をつけてからのタベリと高橋は練習でもすごいスピードを出していたし、確かにヒューベルトやゲートリッヒや私よりも速いようだった。
　ヨハン・ヒューベルトが抜群のスタートをした。しかし彼の後ろにはブスケッツ、デグナー、高橋がつらなってついていった。一周目ですで高橋が先頭に出た。そして高橋のあとにロブ、タベリとつづき、まさにホンダマシンのパレードのようなレースになった。私のマシンは一周目からバルブの調子が変だった。ミスファイヤーでしかたなくリタイアした。ヘルメットのかぶりがいのないくらい短いレースだった。こんなに早くリタイアしなければならないとは・・・・。
　やがて、レースに花をそえようとしたのか、遊び好きのタベリ、ロブ、高橋がこの順位をかえだした。彼等の他のすべてのレーシングライダーに対する挑戦だった。そしてヨハン・ヒューベルトがこれに応じた。最後の二周というところで彼は高橋を抜いた。しかしまだ彼の前にはタベリとロブがいた。そして彼はその二人も抜いた。彼の後ろだった高橋も同じょうに同僚の二人を追い抜いた。十周の後にヨハン・ヒューベルトが一位でゴールにはいるとは誰が信じていたろうか。これは私がリタイアした後、クライドラーの重責をになっての彼の大殊勲だった。彼の後は三人の〝思慮深い″高橋、タベリ、ロブの順だった。その後ろに二台のスズキ、そしてボルフガング・ゲートリッヒが入った。最高速度で競えないこのサーキットで、クライドラーの十二段変速エンジンがホンダを打倒したのだ。ヨハン・ヒューベルトがこのレースに勝ったのだ。
　もちろん、私はここで当然八点を獲得するつもりだった。ところが不運にもとうとうこの時は一点もとれなかった。
　バルセロナでの勝利の後、私は大きな野望を抱いていた。私自身ここで、すでにシラーが詩でのべているように「力と神の摂理とは決して同盟を結びはしない」ということを悟らねばならなかった。
　クレルモン・フェランで失敗したとはいえ、この二つのレースからの収穫はあった。私自身、他の連中とくらべてもおとるところはないし、未来にむかってどんどん成長しそうだ。控え目にみても、世界に通じるレーサーになったのだ。
　いちいち、モーターサイクル・レースの結果を思い出す必要はない。人はレース年鑑でレースの成績を知ることができる。それは我々レーシングライダーがうぬぼれることをふせいでくれる。そこにはレーシングライダーの入賞順位が正確にのせてある。
　いま、私がGPの最初のレースでの勝利を自己評価して書き、ついでに時機を得た自覚としてクレルモン・フェランのレースにスポットを当てよう。わずかに生彩を放った一九六二年のレースの見出しとして、大陸でのあらゆるレースの常識を破っているツーリスト・トロフィー（T・T）と一九六二年GPの最後であるブエノスアイレスでの決定的なレースに大きな比重をおくようにしたい。

T・Tレース出場－緊張と不安

　一九〇七年以来、リバプールからアイルランドの方へ四時間のマン島で、世界中で最もむずかしいモーターサイクル・レースとして有名なツーリスト・トロフィー（T・T）が行われている。戦争の年は中止したが、いままで世界の最高のロードレースとして毎年行なわれてきた。初めてT・Tレースに出場した者でもいい線までいけるのだ。私はそう思っている。
　毎年、主催者がT・Tレースの準備をはじめると〝世界中で一番危険なレース″だからやめるべきだという人が出てくる。
　しかし本当に〝世界中で一番危険なレース″なのだろうか？
　〝危険″だという根本を正しく追究することはできないというふうに私は考えている。
　もちろん、T・Tレースが非常にむずかしいレースだということはいえる。レーサーのコンディションと技術について、マシンの走行性能とエンジンについてと同じように高度なものが要求される。マン島T・Tレースに出場するだけのレーシングライダーなら、すべてそれくらいのものは有しているにちがいない。
　五〇CCクラスは二周で（大きなクラスになれば三周から六周まである）一周六〇キロメートルもあり、山あり谷ありの中を走るのだ。天候も山と谷とでは変わり、暖かい日が射している所もあれば雪がちらつくところもある。そのため、T・Tに参加するものには十日間の練習期間を認めている。その期間にこのコースを覚えなければならない。それから詳細に研究しなければならない。初出場のレーシングライダーは、何よりもまず注意深くコースを覚えなければならない。T・Tが始まって以来五十五年間、まだ初出場でたちどころに勝ったものはいないということだ。それだからといって、それが私に有利だということにはならないし、そうかといって、T・Tレースの経験のある、私のライバルであるタベリ、デグナー、ロブ、フィリスに有利だということでもなかろう。
　あれやこれやと考えあぐねて、結局迷いからミスしないように気をつくなければならない。
　私のマシンは初日は大変順調に走った。これ以上私の意のままになるマシンは他にはないだろう。このコースを徹底的に研究できなければ、それこそ悲しむべきことになる。私は練習時に皆と一緒に三周だけした。ジャーナリストのウルリッヒ・シミハルツが、テストマシンとしてBMW六〇〇に乗って、気のついたところを調べてみてくれないかと頼んできた。そのことはうれしかったが、それをやってもいまの練習のかわりにはならないのでことわった。交通止めにできないからよほど注意して走らねばならないし、あたりまえのことだが、私にとってほ普通とはちがう左側通行であるということもあったからである。
　この時は、ホンダ勢を最強のライバルとして見る必要はないという見方をしていた。むしろ、スズキの方がこわかった。スズキは大きなクラスでむだな努力をかさねるよりも、五〇CCクラスに全力を傾注して、世界の王者への道を開こうとしていた。「楽天主義をかなぐり捨てることそこがここマン島では成功を目指すことになる」ということばをスローガンにして。
　スズキにのったエルンスト・デグナーは、練習では一番速く、我々をおびやかした。十日間の公式練習が終わり、レースの週がきた。一日おきに二クラスずつのレースが行なわれる。またスタートのやり方も従来の普通のスタートのやり方と全然違う。十秒間隔で二人ずつスタートする。だから強敵をマークするというようなことはできないのだ。ここではもっばら時間との闘いである。そしてゴールすると時間を読みとり、それで自分が何位を占めたかを知る。
　ちょっととまどいを感じるこのやり方に、なんか悲観的材料ばかりだったが、その中でも勝機を見出せるような気がしてきた。もっと正確にいうならば、どんなちっぽけな慰めをも必要としていた時だけに、なにかこのことに感謝したい気持ちになった。
　我々はパーン氏のところに宿泊していた。彼はドイツで第二次大戦で捕虜となり、そのあとここにとどまって、マン島でホテルを経営している。
　彼は食事が我々の好みにあっているか、おなかをへらさないように、イギリス独特のゴマ入りソースをかけた冷凍羊肉に食指を動かしているかどうかなど心配してくれた。レースの前日、委員会に管理されている我々のマシンは見張りのついたテントの中におかれていたが、万一スタート前に自分のマシンが他人のものとかわってしまっていたとしたら、私はびっくりぎょうてんするだろう。
　新人だからといって、レースで遠慮することはない。勝つために、私はどこで大胆不敵にでるべきか？
　グレン・ヘレン付近で二五〇CCレースに出たホンダのレーサー、トム・フィリスが転倒し、まもなくその怪我のために命をおとし、またイギリス人のコリン・ミーハンスも致命的な事故にあったと聞いて、私はすごくろうばいした。だが、その時ＴＴレースで各レーシングライダーがそうした危険にさらされていることがよくわかった。そして一二五∝でほ、高橋がユリオン・ミルスで転倒、重傷を負い、まる一年を病院ですごすことになってしまった。転倒して骨を折ったり、首の骨を折ったり、レーシングライダー仲間が死んだりした悲哀が、さらに神経をとがらせた。T・Tレース初出場のものには、これらはあまりもに重荷ではなかろうか？
　七月八日、十一時前にスタートした。
　まず最初にエルンスト・デグナーが一人でスタートした。パートナーであるトム・フィリスは欠場した。
　私は三番日にホンダのレーシングライダー島崎とスタートした。
　二人は並んで走った。
すべて快調ーこれはバカな考えかな？ー順調なレース展開だった。
　私の練習の続きのような走り方は人目をひかなかった。私は舵の示す方向を確実に走るだけで、駆け引きも何も用いなかった。
　一時間ほどの後、私はタベリの後ろ、ロブの前ーこの三者は非常に接近していたが、そのままゴールした。しかしデグナーがまさにおどろくべきタイムですでにゴールしていた。ロブより前にゴールしたが、正式には四位だった。というのは、私より十秒後にスタートしたのにゴールした時には二秒その差をつめられていたのだ。
　私は満足している。スズキに乗った伊藤と市野が私より後だったことはうれしかった。ヨハン・ヒユーベルトは出場者十八名中七位だった。ボルフガソグ・ゲートリッヒは十二位だった。
　なんと異常な光景か。英国の二十二歳の女性レーシングライダー、ベリル・スワインが勝者エルンスト・デグナーの一二〇・八六八km／hに対して七七・七六二km／hでゴールした。
　彼女の練習模様の写真報道によって、スワインさんは以前センセーションをまきおこしたことがあったが、結局それだけだった。私はこのマン島でのレースの後、彼女についてのうわさを耳にすることはなかった。

クライドラー、初めて注目されるようになる

　スズキに乗ったデグナーの圧倒的勝利に終わった一九六二年のT・Tレースは、クライドラーに非常な動揺を与えたが、同時に冷静な反省を呼び起こした。
　初出場の私がT・Tレースでまあまあ普通の成績だったので安心したようだ。
　日本勢が優勢になっているというのは、なにもエンジン性能だけに原因があるのではなかろう。日本勢が我々をおい上げてきた時に、スピードを上げて逃げきるのにフレームに故障があることは明らかである。すなわち、高速走行中、カープにさしかかると、マシンが軽くゆれるのだ。ゴムブロックでささえたジョイントは必要な安定性を保証しえないのだ。エンジンのとりつけも弱いことがわかった。
　五人から六人をかかえるクライドラーチームは日本勢の大胆な浪費ともいえるような費用にまさるだけの金をつかえないという、どうしようもないハンディキャップを背負っているのだ。我々はシーズン中に次のレースにそなえて今のマシンを改造するなんてことはできない。新しく組み立てるだけの時間がない。だから我々はそれを冬まで延期しなければならないのに、一方の日本勢はシーズン中にそれを着々とやっているのだ。
　特にスズキは、特別のレース対策組織をもうけている。ヨーロッパでのスズキチームは、そのレースに向けて準備してきた特定のマシンにしか乗らないのだ。同時に日本では、そのマシンの改造およびニューマシンの開発が並行して行なわれているのだ。空輸されてくる補充部品、改良部品やニューマシンをヨーロッパでどんどん使っていき、一方すぐに日本では新製品の開発にかかるのだ。クライドラーの資金からすると、これでは力の上で「日本人ゴリアスに対するダビデ」ということになる。
　現在のものを改造するのにどれほどの努力と時間が必要であるか、そのことは技術的優位を再び取り戻すことになるのだが、そのことを知れば、クライドラーは現在の世界での座をことし中に失ってしまうのではないかと恐れる。もちろんＴ・Ｔからシュトットガルトのゾリチュードサーキットでの今度のレースまでを知る限り、そのような恐れを抱かせはしない。いわば、そのような状態を前にした、このレースに勝つかどうかが、クライドラーにとってまさに名誉問題なのである。
　こんな考えを持って私ほ練習にはいった。しかし、レースは全然違った結果になった。スズキにのったデグナーが三秒の差をつけて一位、私は二位で、私の後でスズキが三台、ホンダが二台はいり、クライドラーに乗ったヨハン・ヒュベルトとダン・ショーレイは、その後でそれぞれ八位、九位だった。デグナーを除けば、日本勢はみんな私より下位だったのだから、私としては一応成功だった。だが、クライドラーの怒りには本当にいやになった。「もうアンシャイトはクライドラーには乗らないのではないか」と人々は思ったようだ。
　クライドラーにとっては、それはどんな事業でも同じだが、ただ単なるレース結果より、やはり威信が問題なのだ。それは新しいパドック構成をやることではないのだ。人はまた製品がレース報告によって必ずしも左右されるのではないのだということを認めないのだ。
　一九六二年には、経験からくるクライドラー五〇の優位はもう限界にきているのだ。それにもかかわらず、一九六二GP最後のレースを前にして、私は点のトータルで一位だった。ブエノスアイレスでの最後のレースで決まるのだ。
　最終的にほ、今までに得た得点にしたがってFIMが決定するのであるが、その点の数え方は何位には何点というあのやり方である。
　いずれにせよ、私が五〇CCクラスの世界チャンピオンシップを獲得するためにほ、ブエノスアイレスでエルンスト・デグナ一に勝たなければならないのだ。

最後のレースーそして最後の望みー

　エルンスト・デグナーの欠場したモンツァでのレースに私は勝った。一三四・六〇六km／hの記録で、スズキに乗った伊藤、クライドラーに乗ったヨハン・ヒューベルト、スズキに乗ったヒュー・アソダーソンに勝ったのだ。フィンランドのタンペアでのレースにはデグナーは出場した。しかし、ヒザの故障のため、十分なレースができなくて三位にも入れなかった。
　ブエノスアイレスでのこの年最後のレースで、もし私のマシンがフルに走り、私自身も自分の力を十分出しきることができれば、私の納得のいく得点表になることは明らかである。
　アルゼンチンへ行く前に、この重大なレースに対して万全の準備をするために、工場でやらなければならない仕事が残っていた。
　アルゼンチンというところほ、我々の考えている以上に暑い天候であり、やる気をマヒさせるようなところだと感じた。トレーニングの日々、数少ないマシンを置く日陰ではみんな黙りこみ、だらりとしていた。
　そんなことに全然気をつかわないで場所がとれるよう、準備に金をかけるべきなのだ。マシンは人間と同様に病気にかかりやすい状態にある。正常な状態より異常な状態で走っている方が多いのだ。我々が決して住めないような暑いところではなおさらのことだ。
　この時、スズキが進めていた計画におどろかされ、なんとかこの暑さにも負けずがんばれた。というのは、来るべき一九六三年（昭和三十八年）をスズキのシーズンにするためにブエノスアイレスにニューマシンを用意してきたのだ。
　クライドラーでは一九六三年のシーズンのプランさえ立っていない。私の属するクライドラーのレース課は、レースからレースへとついてまわり、私たちのマシンをいつも準備してくれるのだが、それでも多くの失敗をしてきたのだ。スズキは一九六二年の最後のレースにもう六三年型モデルを完成させたのだ。それは小型で軽量のものだった。最高速虔で以前のマシンよりも、我々のクライドラーよりも六～七km／h速いのだ。
　しかし、おどろいたことにニューマシンにはエルンスト・デグナーではなくてヒユー・アンダーソンが乗るのだ。どんな作戦なのだろうか？　アンダーソンは練習では格段に速かった。練習では彼のタイムを上まわれなかった。クライドラーには私の他にオランダ人のヨハン・ヒユーベルトと二五〇ccクラスのドイツチャンピオンで、いままで個人参加でアドラーに乗っていたギュンター・ベールである。
　私の練習タイムは確かにアンダーソンのタイムより悪かった。だがしかし、デクナ一に勝つだけの自信はあった。それが可能になれば、その時、私はこの最後のレースで一九六二年のチャンピオンシップを握ることができるのだ。
　このような、自分をふるいだたせるための自己満足のような計算は、ただ気を荒らだてるだけではない。スタートを前にしたこの決定的レースにドラマチックなアクセントー不安まさに不安ーをつける心の緊張を伴うのだ。現実にはこの心の緊張がレースで私に刺激を与え、ベストをつくさせるのだ。
　アンダーソンがとびだした。私も彼の後を追っかけた。彼の勝利はまちがいないものだった。半分すぎたところで彼はすでに私を三〇秒リードしていた。「どうしようもないよ」私は一人ごとをいった。おやおや、人々はアンダーソンではなく、デグナ一に注目している！
　彼は依然ずっと私の後ろを走っている！
　私はいま二位である。デグナーは四位だ。その時、私の目標が達せられつつあった。三位ではあぶない。しかし常に彼を十五秒引き離していた。そして彼が追い上げてきた。三分の二過ぎたところでその差は八秒になっていた。しかし、それ以上差をつめることはできない！
　一九六二年世界選手権者ハンス・ゲオルグ・アンシャイト！

ゴールがレースの終わりだ！

　私は自分の確信を称賛に結びつけ、これまでのレースの結果の実を結ばせたかったが、日本勢にはただエルンスト・デグナーを世界選手権者にすることだけが大問題だった。しかし、彼と私との差は八秒あったのだ。では日本勢としてはどうでてくるか？
　まず、あまりにとばしすぎたアンダーソンにスピードを落とすように指示した。アンダーソンはためらわない。私が彼に追いつく。そして追いぬく。今度は私がトップにでる。しかし、私にはこの後、どういうレース展開になるかわかっていた。アンダーソンのマシンほ絶好調だ。彼はまだスピードを落として、デグナーを自分のスリップ・ストリームにとらえる。そのことを確認するや、できる限りデグナーを引っばる。彼はデグナーを長距離レースの先導車のようにスリップ・ストリームにとらえるだけでなく、デグナーを前へ前へと引っぱるのだ。
　彼等は走る。いま彼等は私に、スズキのニューマシンの性能をまざまざと見せつける。
　こうなったらどうしようもないとあきらめた。その覚悟はレース前にしていた。私はアンダーソンのスリップ・ストリームにはいることは成功しない。ニューマシンの最高速度が六～七km／h速いのでそれはできないのだ。
　アンダーソンが勝った。彼の後にデグナーが二位に入った。彼が世界選手権者になったのだ。このような駆け引きとチームワークの前に、私の早くみすぎた夢はずたずたに引き裂かれてしまった。
　三秒おくれて私ほ三位にはいった。
　そのため、私ほ準世界選手権者に甘んじた。
　世界の舞台にデビューした最初の年に、一気に自分の夢を実現しょうなんて思ったのは、やはり甘かったようだ。クライドラーにとっても一九六二年というのはまさに国際競争の決算の年だったのだが。
　そしてクライドラーは首位の座を失い、スズキがその位置についた。
　しかし、一九六三年にいったいどんなチャンスがあるのか？
私は自分に何度も問うてみた。「スズキは一九六二年の最後のレースで、すでに新しいエソジンを試している。それはいままでのものよりずっと速いのだ。どうすればいいのだ？」
　クライドラーにいる我々は困難ではあるが、エンジンをどのように改良し、そのエンジンがスズキのエンジンの性能を上まわる努力からはじめなければならない。スズキのエンジンは小さくて、軽くて、速いのだ。そして想像を絶するくらいに高性能なのだ。
　私は日本の工場のレース課の組織が我々のとは違うことを知った。ニューマシンの開発では、ヨーロッパでレースに出ている自分のところに所属しているレーサーに頼ってはいないのだ。こんどの新しいエンジンを開発した時でも、トップレーシングドライバーであるアンダーソンやデグナーはヨーロッパにいたままだった。スズキは日本によきテストレーシングドライバーを有していて、レースと開発を互いに独立させて進めることができるのだ。このような状態で、我々クライドラーはスズキとレースで互角に戦える日がいつまで続くだろうか？
　何はともあれ、一九六二年という年は私には少々残念な年だったし、一九六三年の見通しも明るくはない。しかし、私は満足しているんだ。世の中には、私がGP最後のレースで経験したことより、悪いことはいくらでもあるのだ。

燃え上がる火の海の中の二十六人の旅客

　我々はブエノスアイレスへの飛行機でまさに最悪のできごとを経験した。我々ほそんな目にあって思わず緊張にふるえたが、それからはまったくゆううつになっしまい、また飛行機にのることには、思わず身ぶるいしてしまうくらいだ。
　我々クライドラーチームは、飛行機でシュトットガルトを発った。我々の乗った飛行機は嵐の中を大西洋をわたってリオ・デ・ジャネイロ飛行場に着陸した。ブラジルのこの町がブエノスアイレスへ着く前の最後の空港なのだ。我々が飛行機を降りた時、ブエノスアイレスからきた飛行機が着陸しょうとしていた。
　飛行場に突風が吹いた。その風で飛行機は滑走路を二、三メートル進み、機体がゆっくり傾きかけた。そしてその時、あのおそろしいことが起こったのだ。主翼が地面についてしまい、それを軸にして少し回転し、その主翼は折れ、同時にすごい勢いで火の手が上がった。
　ものすごい惨事の中で、旅客が投げ出されるのを見た。彼等にはひどい運命のめぐりあわせだ。二十六人の乗客は我々の目の前で火の海につつまれた。我々は彼等がなんとか助け出されることを祈った。しかし救出はむずかしかった。
　飛行場で働いている二人の労働者は、きびしい表情をして大声を上げているだけである。救出隊は見あたらないのだ。そして彼等も消火器具がなくて燃えさかる飛行機には近づけないのだ。三十一分後に消防隊によって火は消し止められた。二人の消防士がすでに小さくなった火を完全に消しとめようとやっきになっていた。しかしそれはなかなか消えなかった。乗客の救出については今さら何も説明することはない。
　私はこのできごとに強烈な印象をもったので、この種の飛行機事故についてあれやこれや考えた。私には消防士があわてて消火作業がうまくいかなかったなんていうような、そんな問題とは思えなかった。着陸直前まで異常なく乗客を乗せて飛んでいた飛行機が、一瞬のうちに火につつまれて主翼と機体が崩壊してしまうとは。
　二十六人の乗客は烈しい苦痛の中で死んでいった。そのような犠牲ほ再び出してはならない。
　人間の運命はあらかじめ決まっているなんてことを人は本当に信じるだろうか？　自分の運命が、烈火につつまれる飛行機に乗り合わすことだなんて、人は何を信じることができるのか？
　私は哲学者ではない。
　私はレーシングライダーだ。そしていま、私はブエノスアイレスでの困難な大レースを前にしているのだ。
　ここからさらにブエノスアイレスへ飛ぶための接続飛行機はすでに待機していた。我々ほそれに乗りこんだ。ウソをつく必要もなかろう。その時私は、自分ののどをしめられるような気分だった。飛行機が別に事故もなくリオ・デ・ジャネイロをあとにし、アルゼンチンの主都の飛行場に無事ついてからも、なかなかおびえきった気持ちはやわらげられなかった。
　ブエノスアイレスでのレースの後、「世界選手権者」になるつもりが「準世界選手権者」にしかなれなかった悲しみなんて、この運命的なできごとにくらべれば、どうというほどのことはないのではないかと考えだした。
　人生において、すべてが明らかな関係を持っているのだ。ひとたび自分を世界の中心と考えると、我々ははかり知れないできごとと対決しなければならない運命にあり、正しい認識を頭にたたき込むために、自己中心の考え方に正しい尺度を与えれば、運命が悪いなんていうことほまれなんだ。物ごと、そう悪いことばかり起こりはしないのだ。

心からの歓迎と困難な仕事

　ブエノスアイレスから帰還してシュトットガルト飛行場で受けた歓迎は本当にうれしく感じた。ADACの代表者が「準世界選手権者」をとったことに祝詞をのべ、クライドラー製作所の代表者が私を心からねぎらってくれた。
　クライドラーの成績についてはみんなまあまあ満足した。しかし、一九六二年に日本勢がのしてきたことは、みんなも認めている。
　我々は冬の間に、少しずつエンジンを改良するために困難な仕事にまたとりかかった。私自身、テストライダーとしての身分だけでなく、メカニックの身分にも自分をおいていた。もちろん私は、いまテストライダーの身分なんだが、一九六三年に向けての改造の仕事に、余計なことだが大変な興味があったのだ。　　　　　　　　　　　　　　　　　
　いままでのものより背の低いフレームを作り、新しいテレスコピックフロントフォークを作り、ブレーキには他の方法のものを採用し、新しいシリンダーを作り、クランク軸とミッションを改良した。また新しいキャブレターをとりつけた。それらを正しく調整するのが私の課題だった。新しいマシンは無難なスタートをし、加速性能のよさも保証された。キャブレターに「穴」があってはいけない。それには非常に精密な作業が必要だった。それによって、またマシンは非常に軽くなり、十一馬力近くまで（約十と二分の一馬力）パワーアップすることができた。
　新しいマシンが完成してからは、私は自分をそれに慣らすためにすべての時間をついやした。ステップを高くして、ハンドルをにぎった時の、シートの居住性を調べたりもした。ガソリンタンクの形をきめるために、ハート形のガソリンタンクをつくってみたりして、自分にぴったりした形のものを決定した。そのようにしてすべてのものを改良していった。疲れた時には「スズキ」という語を思い浮かべては毎日早くからがんばった。冬が終わる頃には、クライドラーの来たるべきシーズンへの準備は万全だった。日本勢と互角にわたり合えるだけの自信があった。



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