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                      特集 第2回浅間火山レース(2)

第2回 浅間火山レース・チャンピオンは語る

ウルトラライト級(125cc) 大石秀夫選手
   大石秀夫(21歳) 昭和12年9月2日生 静岡市 静自動車KK勤務

力一杯やった
 レース経験はありません。すべて監督さんやチームの先輩の方々に教導していただき力ー杯やりました。
 レーサーも信頼できるものであり、チームワークも大変よく、勝てるという自信はありました。
 とくに繰習中は食物に注意して健康に気をつけ、ベストコンデションでレースにのぞみました。
 レース中はもちろんベンリイをマークしながら、ギヤチェンジの扱い方、ヘアピン、50Rの下り坂などに特に注意しました。カウリング効果はあつたと思います。
 コースの路質の悪いのは、来年までぜひなおしてはしいと思います。


ライトクラス(250cc) 益子 治選手
  
 益子 治(20歳)昭和12年1月1日生 東京都(株)ミナトモータース勤務

勝因はチームワーク
 3周目あたりからやれるぞ!と自信がわきましたが、優勝は本当に夢のようです。これもみなさまの御後援によるものと感謝しております。
 車はもち論十分信頼できるものでしたが、勝利の原因はチームワークが非常によかつたこと、先輩の意見、ベンチの指示をよく見て走つたことであると思います。
 90km以上のスピードを出した時など、カウリングの効果が大きかつたと思います。レース中はホンダチームをマークしました。16歳からヤマハに乗つていますが、レース経験はありません。
 このレースに希望することは、一斉スタートのできるよう走路をなおして貰いたいこと、レース中に観客のコース横断は絶対やめてほしいことなどです。


ジュニア級(350cc) 鈴木義一選手
   鈴木義一(26歳)昭和6年4月6日生 本田技研工業勤務。

TTレースを目ざす
自信は十分あつた。最大馬力を出すよう注意すると同時に、チームワークに気を配った。
 メグロ、ライラックは実績もあるので、マークした。今後はマン島のTTレースを目ざして精進したいが、これは自分だけで出来ることではない。関係方面は勿論、一般の与論と関心も必要なことであるから、何分の御協力をお願いしたい。
 125、250などでは敗れたが、来年は是非この経験を生かしてこのクラスでも勝利を得たい。
 来年のレースには観衆の整理と、走路の補修を十分やつてほしい。


セニア級(500cc) 杉田和臣選手
   杉田和臣(32歳) 東京都 杉田モータースを実兄清蔵氏と共同経営

本懐をとげた
むろん優勝を狙つていたが、本懐とげて本当にうれしい。おまけに最高スピード賞を得て錦上さらに花を添えるとでもいおうか、誠にうれしい。
 一番狙つたコースは9k地点からホームストレツチをすぎ、50R地点までのコースであるが、天候が悪かつたので、車が思うように走らず、それにコースが悪くて、いい記録はのぞめぬと思つた。
このようなコースでは、大馬力車はフルに力を出すことはできない。是非改修する必要があろう。
 御声提の皆様に厚く御礼を申しあげます。



優勝陣営に聞く

ヤマハ・チーム

ウルトラライト級チャンピオン
ライト級チャンピオン
ライトクラスチーム賞優勝


2年間の成果

ウルトラライト、ライトの両クラスに出場し、その両方ともチャンピオン賞を獲得したほか、ライトクラスのチーム賞優勝に輝やくヤマハ発動機株式会社の合宿所(群馬県北軽井沢町・養狐園)を訪ね、自ら陣頭指揮に当つて勝利への道を開いた川上社長に、堂々たる勝利の感想を聞く。
 第1回のレースに優勝したその翌日から今日までの2年間は、率直にいつて今日の栄誉な得るため、社員一同とともに実に涙ぐましい苦闘の歳月であつた。
 勝利の原因を一言にしていうと”人材が豊富である”ということになるかも知れない。技術的な問題は小野研究所次長(ヤマハ発動機(株)研究所)が中心となつて、2年間の長きにわたつてオ←ソドックスな研究と努力を積み重ねた。この2年間の勉強の中には、話せば笑われるような細かいことも沢山あるが、これ等の一つ一つを軽視することなく結論を出して行つた。この小野次長の繊細巧ちな性格と、所員の努力が今日の勝利の主因である。
 また、このレースで十分に力量を発揮出来るように相佐常務が中心となつて、間違いのないあらゆる準備をスムースに進行した。さらに、2カ月問にわたる合宿練習においては、渡瀬コーチを中心に選手諸君はよくチームワークを保つて今日のレースに出場した。要約すればこれ等の事柄が勝利をもたらしたものといえる。
 第1回のとき私は丁度足の怪我でベツトの中だつたが、今度は何らの支障もなかつたので、わたし自身も最初から全般的に十分の指揮がとれた。一昨年はまさか勝てるとは思っていなかつたのが優勝したわけであるが、今年は2クラスとも十分実力もあり、この実力を出しきつて両クラスに優勝したのであるからこんな嬉しいことはない。
 「大体これなら行けそうだ」と思つたのは今年の春ごろであるが、絶対間違いなく優勝出来るという自信をもつたのは9月の10日である。しかし、最後まで油断はせずに精進した。一番マークしたチームは、やはり立派な実力をもつているホンダ・チームということになる。
 東南アジアレースが明年開催されるというニュースもきいているが、この海外レースに出場できる実力があるかどうかは、よく勉強してからでなければ何ともいえない。
 一番うれしいことは、熱心なユーザーがはるばる全国から多数集まった目前で、ヤマハの耐久力とスピードとが併行する事実をお目にかけられたことであるが、技術の世界は永遠に果てしたいのであるから、今後とも勝っておごることなく大いに自戒、勉強してゆきたい。
 貴誌を通じてヤマハのために声援をおくつで下さった方々に、厚く御礼を述べさしていただきます。


卜ーハツ・チーム

ウルトラライト級チーム賞優勝


1年生から出発した

 初出場にもかかわらず、ウルトラライト・クラスで全出場車完走の記録を樹て、チーム賞に優勝してよろこびに湧く東京発動機株式会社の合宿所(長野県軽井沢町千ケ滝在・同社小幡営業部長別荘)を訪ねる。総指揮にあたつた倉崎製造部長など、交々次のように語る。
 「2サイクルエンジンは、御承知のように35年来手がけてきているが、ことレースに対しては全くの素人であり、1年生であつたので、毎日練習を済ませたあと検討会を開きその日の良い点、悪い点を語り合つて改良してゆくようにした。
 レーサーの設計にあたつては走りやすく、軽く、と心がけたが、実際に出来あがつてみると改める点が多かつた。そこでこれらの諸点について先ず選手の意見を率直にききながら改めたわけである。一番最初に出来上つたものは車重97kgであつたが、このような努力の結果約87kgに軽減することが出来た。
 この浅間高原には、修理工場や、設備も完全なものがなく、持ち込んだレーサーが故障するたびに、それ熔接屋だ鍛冶屋だと、さんざん苦労した。
 エンジン設計にかかつたのは今年の3月で、出来上つたのは7月であつた。8月にようやくフレームが完成し、その月のうちに第1回の練習に入つたのであるが、やはり予想通り、最初の車はクランク、ピストンリングまわりなどにいろいろのトラブルが発生した。したがつてこれらのトラブルが解決してからまだ日も浅いわけで、欲をいえばあと一カ月の余裕がほしかつた。
 このレースに出場したことによつて、トーハツ技術陣が勉強となつた点は無数であり、今後の設計上に非常に有意義たものを得られ、この点チーム賞優勝とは別に心からうれしく思つている。
 合宿練習ほ8月から開始したが、メーカー側も、選手もレースには全くの一年生なので、先ず規則正しい生活を基本にして、真面目な練習をつむことにした。毎朝6時30分に起床して30分間のトレーニングを全員がやつた。、今日のレース中に同志がふれあつて事故となり、怪我をしながらも最後までレースを棄てることなく敢闘した選手諸君の精神は田内監督を中心として鍛錬した敢闘精神の現われである。
 今日のレースにのぞみ、別に作戦というものはなかつたが、最初にもいつたように、一年生であるから他社の選手にまき込まれて、自分のペースをくずさないという一言につきる。ヤマハやホンダのような優秀なレーサーに混つて走るのであるから、この点十分注意するように選手には指示した。そのため7周目ぐらいまではスピードをセーブし後半に力を入れさせる作戦に出たが、これが出走車5台全部完走というロードレース本来の目的を完遂する成功をおさめた。
 タイヤ圧は30〜35ポンド平均32ボンド。リムには高速で走るためチューブがズレないような工夫を施した。優勝車のバッテリーは古河。コイルは日本電装。ポイントは国産と三菱電機。キャブレターの選択には最後まで迷つたが、TKと三国を仲良く1台づつ。プラグは2台とも日立製のものが入賞した。
 初出場でありながら、幸運にも輝くチーム賞を得られたが、ト−ハツの歴史と入賞タイムから検討すると、これは決して立派な成績だとはいえない。これで慢心することなく、明年のレースに向つて、明日といわず今日から新しいスタートを切り、さらに優秀な成績を上げるよう努力する。

ホンダチーム

ジュニア級チャンピオン、同チーム賞優勝


ホンダとしては不振・・・・

 20日夜第3レースのジュニアクラスの個人、チームともに優勝したホンダチームを同社山の家(群馬県北軽井沢町)に訪ね、藤沢専務や優勝選手の諸氏にその感想を聞く。
 藤沢専務は本大会の委員長をつとめているので、なかなか多忙の日程であるが、記者の質問を心よくうけていろいろ語つてくれた。
 「先ず、本大会全体として成功といえると思います。
 一般観覧者が見せた熱狂的な光景は、今後このレースを盛んなものにしていくのに大きな支柱なると思います。本大会の細部にわたつてはいろいろ皆さんにご不満もあったとも思いますが、来年はより盛大に挙行出来るよう勉強させて貰うし、また皆さんのご声援をお願いします」と前おきして「ホンダチームは昨日のレースではヤマハさんに完敗しているので、たとえ今日のジュニアに勝つたとて、別に申すことはありません。ジュニアクラスの勝利は当然ですが、タイムその他からみると満足すべきものではありません。
 選手諸君は力闘してくれましたが、総体的にはもつと努力しないと”ホンダらしい偉力”に欠けるともいえます。
 勿論、レーサーと実用車はその性能、タイプなどにおいて異るのは当然ですが、対外的には技術水準を知つて貰う一番のチャンスでもあるので、今後とも大いに勉強して立派な成績を得たいと念願しています。」

メグロ・チーム

セニア級チャンピオン、同チーム賞優勝


明月の心境で戦う

 セニアクラスにチャンピオン、同チーム賞優勝のメグロチームを20日夜北軽井沢町百楽荘の宿舎に訪ね、日野監督らと一問一答を試みる。

(問)レーサーは少し重いようだが。
(答)フレームの強度に重点を置いたので、普通鋼管でなくモリブデンを使つた。普通鋼管の3倍の強変に耐えるものだがこの熱処理には苦しんだが、敢えてこれを断行した。たしかに重量は標準車と同じ位になつて重くなつた。
(問)メグロはトラックでよく跳躍したが、トレール、キャスターなどのバランスや安定性の影響ではないか。
(答)あれはトラックのコンディションと選手のクセによる現象で、レーサ−の安定性とは関係ないと思う。
(問)緩衝装置には特別の配慮を払つたか。
(答)しなかつた。スクランブルではないのだから。
(問)2種類の4サイクルレーサーを出したが、どちらが性能的に優れていると思うか。
(答)このレースだけでは結果を云々するわけには行かない。
(問)カウリングはどうして後部のみに止めたのか。
(答)全体に使用する予定だつたが、色々研究の結果、時期尚早と判断したので後部だけに止めた。まだ完全カウリングが必要なほどの時期ではない。これにはコースの関係や、車両重量の軽減など解決すべき点が先決のように思うということも含まれている。
(問)タイヤの空気圧は前後どの程度か。
(答)28〜30ボンドの線で出場した。これも選手のコンディションに関連するので、それとにらみあわせたe
(問)変速機は4段だが、ギヤレシオが走路のコンディションにマッチしたと思うか。また何段位が適当と思うか。
(答)詳細な点はさらに検討してからでないといえない。ただ感じとしては十分だと思わない。日々研究しさらに進歩を図るべきことである。変速段数はエンジン馬力・車体重量・圧縮比・選手の技量それにコースの状況などに関連するので一概にはいえない。
(問)レースの作戦としてどこのメーカーをマークしたか。
(答)邪念一掃、心は明月の如しといつたところで、ただ自己のペースを十分発揮した。従づて特定のメーカーをマークするというようなことはなかつた。


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