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特集1958年第1回全日本クラブマンレース(3)
チャンピオン・ルーム
「ウルトラライトクラス(125cc)」優勝
鈴木三郎選手談(42才、スポーツライダー)
最初から本命とか何とか騒がれていただけに、とにかく優勝しなきやと思つていましたが、優勝の気持ちほとても言葉には言えません。練習は約10周あまり、車のスペアがないので、大事をとりました。練習時は6分30秒台のタイムで走つていました。作戦は2周走るだけだから、とにかくトップをとることでした。
僕のようなクラブマンが、こんな大観衆の前で、思い切り走れるということは本当に嬉しいというか、楽しいというか、モーターサイクリスト喜びここにきわまるという気持です。そして優勝出来てわがスポーツライダーの名を恥かしめなかつたのは、この上もない気持でいっぱいです。
レースのもち方、あるいは選手としての態度などにいろいろ研究すべき点も残されたようですが、それはそれとして、とにかくこのような一大レースが開催され得たことには、関係者の皆様に深く感謝するところです。
「ライトクラス(250cc)」優勝
笠原信重選手談(18才、高崎オート)
嬉しさでいつぱいです.東京の猛者に何とか一泡ふかしてやろうとがんばりましたが、地元で優勝できたことはまた格別な嬉しさです。一番むずかしかったのは6K地点の泥沼です。練習は20周以上やり自信はありました。車は前輪だけトライアルタイヤをつけただけで、殆んどスタンダードです。それにしても今度の優勝はクラブ全員協力のたまものです。車も今朝の3時までかかつてクラブ全員が整備してくれました。この協力あつてこそ優勝といえると思います。エース経験は初めてです。これだけの大観衆の前で走る気持ちは何ともいえませんでした。ただ模範レースに出たドリームの人達と一緒に走れなかつたことは大変残念でした。
「旧車レース」優勝
三友章選手談(22才、シェパード)
車は何といつても29年ですから無理はききません。1周だけですから、とにかく思い切り飛ばしました。それもクラブの男谷君がしつかり装備してくれ、”まかしとけ”といつて胸をたたいてくれましたので、安心して走れました。この車は全然ボンコツものでしたが、フライホイルを少しけずつて軽くし、ギヤレシオをコースに合せて改良し、タペットロッカーをローラー式に改造、ピストンをハイコンプレッションにし、ハンドレバーをフートチェンジに、タイヤもトライアル用にした男谷君の綿密な改造整備が優勝のもととなつたといえます。
練習時は2分台で走りましたが、このドットコースでは思うように走れませんでした。優勝は決して僕だけのものではなく、先輩諸氏の教導の賜と深く感謝しています。
「ジュニアクラス(350cc)」優勝
高橋国光選手談(18才、ハイスピリッツ)
練習は50周位やりました。皆にはあいにくの雨だったでしようが、僕にとっては皆があまり飛ばさなかっただけに幸いしました。
初めてのレースであり、とくにコーナワークで嫁ぐようにし、このテクニックは先輩の望月修、.伊藤史朗さんに手をとつて教えて頂き、これが勝利のもとになつたわけで、感謝に堪えません。
1、2周は一杯で走り、3周目は少し「オトセ」の信号がつたので楽に走りましたが、この安心感のせいか、3周目6K地点では転倒してしまいました。練習時には5分40秒を記録しましたが、やはり悪コースのせいか、本番ではいい時計が出なかったのは一寸残念です。
優勝ときまったときにはやはりうれしくてうれしくて、この気持は何といつていいか、これも先輩の皆さんのおかげと感謝の気持で一杯です。ハイスピリッツクラブの名声も保持できたことは重ねてのよろこびです。
「セニアクラス(500cc)」優勝
本田和夫選手談(23才、オールジャパン)
僕とハントで、こんなに沢山のカップや優勝旗を貰っちやって、悪いなア。
僕のトラの改造はハントのおじさんが指導してくれました。
ハントは大変車を大事にする人で、ドロのついた車を1晩そのままの状態で置くことは絶体に許しません。だから僕の車にも大変厳格で、スポーク1本1本に至るまで気を使つて、ゆるみのないようにしてくれました。やはり外人選手は違ったものです。
僕のトロフィバードはタイガー110と同じサイズですがレースに向くよう車体を軽くしたり、電装がとり出しやすいようになつていて、レーシング改装に手間ヒマのかからないようになっています。外国車でもBSAやノートンがあるが、われわれが使うにはこのトラが一番いいんじやないの。伊藤がBMWで走つたが、あの車ではあのコースでは無理ですよ。ほかの車に乗ったら、おそらく彼が1番早かったんじやないですか。
それから一言申しあげておきたいのは、・赤土を整地のためにまいたのはいけませんね。やはり浅間コースには浅間コースそのものに適する土質のものを入れるべきです。
「国際レース(CCオープン)」優勝
ビル・ハント選手(39才、オールジャパン)
今日ぐらいのコンデションならオドロクことありません。アマチュア・スポーツは雨でも雪でも平気で行うものです。表彰式がおくれて雨にうたれて沢山の選手が待つていたのは、マネージメントの不足で悪いことです。伊藤選手はスバラシイよい選手です。若いから今からドンドン上手になるでしよう。あのコースをBMWであれだけ走れる人は、彼くらい。私ならオーゴメンナサイ、最初からやりません。
私のモーターサイクルは、全くのスタンダードとは違います。だけど、アトもう1周廻らなけれはならなかつたら私は負けました。もうガソリン少しもなかつたのです。
私のコ−ナーリングについてのクエッションですか?―足でスライドする方法もあれば、私のようにリーンアウトする方法も、その他いろいろテクニックあります。みんな大変よろしい。足を出す人は変速よりもアクセルとテクニックを利用します。リーンアウトはスピードとトルクをバンクに合せて走ります。それだけの違いです。
それから観衆の人いけません。タキビしている人や、レース中にコースをよこぎる人大変悪い。
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「クラブマン模範レース」を急遽開催することになった経緯について
発展のための礎石
今回の第1回全日本モーターサイクルクラブマンレース大会は、わか国最初の試みとして、全国各クラブ45チームの出場と、当日棄権を除いて104車もの多くの出走車、それにベテランクラスの日本、在日アメリカクラブマンの選抜国際レースもあり、しかも9.351kmの専用ロードレース場の使用などと、相まつて、かつてわが国のアマチュアモータサイクルレースではみられなかつた規模の大きなものであつた。しかもレース大会当日はあいにくの豪雨に見舞われ、わが国モーターサイクルレース史上に多くの貴重な経験と記録を残したものであるが、その反面こいろいろレース開催に.ついては不慣れのための不手際もあつた。しかしこれらは今後益々発展するアマチュアレースのあり方を検討する上に、一つの反省を与えると同時に、より堅実な発展のための礎石ともなるべき研究テーマとなつた。
まず工場レーザーとはいかなるものかの定義について、主催者側の考えと、一部選手間との意見の相違があつたことである。
規定上では、国際レースを除き、工場レーサーの出場は認めないことになつていたのであるが、
クラブマンレースに出場するドリーム250、305cc車の一部とクルーザー250が、「第2回浅間火山レースのメーカー対抗レース」に出場したものと同一タイプとみられるものが数車登場したため、一部選手間では「このような、工場レーサーの出場を主催者側が認めるというならば、我々は出場しない」と申し出た。
プログラムの一部変更
工場レーサー
というのは、「そのメーカーが速度、耐久などのレースで記録樹立を目ざし、特に設計製作されたものであり、設計上の秘密もあることから、ライダーは特定のものを指定し、もち論一般に市販されるものではない。しかし一定期間の後、これを一般の注文によって販売した場合は、すでに工場レーサーというよりも、工場レーサータイプのレーシングモデルというべきものである」とする説と、「工場レーサーとして設計製作されたものは、その後市販されると否とにかかわらず工場レーサーである。」とする一部選手側との意見が相違した。この間に立つて主催者側は、選手団長を交えて懇談の結果、この
工場レーサーの定義解明は後日に譲る
として、ともかくクラブマンのスポーツ祭典である本レースには、出場申込者にすべて出走の機会を与えるため、工場レーサータイプのドリーム250、305ccと新型であるベンリイツインは、別に一本レース種目をもつことに、関係者の諒解が成立し、
「クラブマン模範レース」が、プログラムに追加された。
レース当日この模範レースについては,
、「同一銘柄、同一スタイルのレーサーが集まりましたので、レースの趣向を一層興味あるものとするため、とくに、クラブマン模範レースを行うことになり、プログラムを一部変更いたします。これはホンダスピードクラブ、東京オトキチクラブ、高崎オートクラブの各選手による混合タイムレースでありますが、このレースの表彰は、125cc、250cc、350cc、各クラス別で、3位まで賞状、賞金及び賞杯が贈られます。」
とアナウンスされた。
スタートラインに整列した「模範レース第1走者」
以上の経過によつて、当日のレースはスムースに進められたのであるが、開催規定及びレーサーの定義、あるいは出場クラブマンのアマチュアとしての資格など、種々検討すべき点のあることを反省され、今後この種レースの運営上に参考となることが多かつた。
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「大会描写」の中からの記事
期待の新人第1号誕生!(高橋国光選手)
出場クラブマンのうちで最も際だった疾走振りを見せたハイスピリッツの高橋国光選手、彼はBSA350で出走、500ccクラスの選手が顔負けするほど突っ走ったが、これを見て驚いたのが他のクラブマン。「おい、あの高橋てえの見たか?すごかったぞ、全く!彼、カーブに来るとグリップを締めるどころか、反対に開けるんだ。大した度胸だ、こわくないのかな。今、ピットへ行って彼を見てきたんだけど、ケロッとしているんだから、全く驚いたなあ。あれで18才というんだから大したもんだ。ありゃあ大物になるぜ、きっと」こうしたクラブマンの言葉を待つまでもなく、高橋国光選手の疾走振りは事実鮮やかそのもの。降りしきる雨もものかわ、真一文字に突っ走ったのだが、いってみれば、期待の新人第1号誕生というところ。
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