北京動物園 | ||
パンダ館 | ||
北京→済南 | ||
← 「北京〜済南」間は 494km 所要時間は、急行で 8時間20分 列車で同室だった 北京化工学院副院長 林樹森さん (徳州駅にて) |
斉魯賓館 |
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泰山(済南より 50km 位) | ||
中腹のロープウエイ乗り場までは車で |
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千佛山へ | ||
斉魯賓館より千佛山の眺め |
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← 表参道に立派な門を建設中 ●千佛山(チェンフォウシャン) 市内から2.5km南方にある標高285mの山。千仏山の名は,隋代に山の岩肌にたくさんの仏像を彫り,千仏寺を建てたところからきている。境内にある「龍泉洞」は明代に掘られたもので,洞窟の彫刻は北魏時代のもの。山に登ってみると遠くに悠々たる流れの黄河,近くに全市を一望できる。 |
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済南紹介 | ||
済南市内の漢方薬店 |
済南中心部から斉魯賓館まで人力車で |
済南は水の町 |
天壇公園、琉璃廠 | ||
琉璃廠 | ||
重慶 人民賓館 | ||
外観は素晴らしいが客室はまるで土蔵の中 |
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重慶動物園、鵞領公園 | ||
長江大橋を渡って。橋のすぐ下の中洲には、 蒋介石時代に使った滑走路が残っていた |
パンダの故郷はここ四川省、重慶動物園には沢山のパンダがいた | |
長江大橋下の中洲に残る、蒋介石時代に使った滑走路 | 鵞領公園 | |
重慶 天朝門(長江と嘉陵江が交わるところ) | ||
●朝天門---重慶港があるところで、半島の先っちょにあります。三峡下りの船は全てここから出ます。 |
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北京→長春 | ||
西苑飯店 | ||
北京空港待合室 | ||
中国語の話せない二人連れで北京から長春へ・・・冷や汗ものだった。 商社の都合もあって、中国語の話せない小生と品質保証部の男と二人で長春へ飛行機で向かった。二人とも長春汽油机厰の訪問は初めてで、工場がどこにあるのかも知らないし、工場の人たちの名前も顔も誰一人知らない。長春空港に着いてが、どうしたことか出迎えの長春汽油机厰の人はおらず、暫く待ったが来ない。やむを得ずタクシーで、商社から聞いていた宿泊予定の「長春賓館」へ行ってみた。幸い片言の日本語を話せる男がいたが、宿泊予約は無く、しかも満員で宿泊はNG。北京の商社に電話を入れて貰ったが簡単には通じない。長春汽油机厰へ電話をして貰ったがさっぱり要領をえないようだ。空室のあるホテルを探して貰い「長白山賓館」へ向かう。何とかチェックインは出来た・・・「長春賓館」からの連絡が効いたのだろう・・・数時間して長春汽油机厰の通訳さんがやって来た。責任者の副厰長からは何も聞いておらず、出張中で今夜帰って来るとのことだ。副厰長が手配を忘れて、出張してしまったのだ。 |
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長春汽油机厰 | ||
副厰長と通訳さん |
二晩、私の部屋に泊まった通訳さん。一般中国の人は水洗便所など知らないのは当たり前だが、大をしても流すことはせず、そのままなのには参った。 |
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長春映画撮影所見学 | ||
長白山賓館のすぐそばの「完全に凍った南湖公園」 | ||
長春 真冬の道路風景 | ||
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旧満州国皇帝溥儀の宮殿跡が「博物館」に | ||
●仮宮殿 執務府のとなりにある仮宮殿です。その後建設が開始された宮殿が出来るまでの間の仮の宮殿のはずでしたが、結局新宮殿は資材不足から完成しませんでした。 ホールでは、「映画ラストエンペラー」の舞踏会のシーンが撮影されたそうです。 今はこの建物は歴史博物館になっています。 ●旧満州国執務府・宮内府勤民楼 ここは、清朝皇帝を退位させられ、満州国設立と共に再び皇帝に祭り上げられたラストエンペラー溥儀の執務していた旧満州国執務府・宮内府勤民楼です。現在は、博物館になっています。 |
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仮宮殿 | ||
旧満州国執務府・宮内府勤民楼 | ||
博物館の主な展示物は「日本軍の中国人虐殺の写真」であり、 見るに見かね早々に引き上げることにした。 まだまだ戦争の傷跡は・・・・。 |
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