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(1988年3〜4月) ≡ は列車、〜 は自動車 での移動
北京→済南

   「北京〜済南」間は 494km
    所要時間は、急行で 8時間20分

   
「黄河」を渡る列車。
    黄河を渡れば間もなく済南だ。
    もう大分下流だから、もっと広いと
    思っていたが・・・・。
斉魯賓館
斉魯賓館 やっと完成した千佛山参道の「門」
曲阜(孔廟・孔府・孔林)の紹介

曲阜案内図
 孔廟&孔府

 曲阜(チューフ)

■あらまし: 山東省の西南部にある儒家孔子のふるさと。春秋時代(前770〜476年)魯の国の都であった。

■交通: 済南から急行列車で 156km、2時間15分。下車駅は「えん州」

■みどころ

 ●孔廟(コンミャオ)

 孔子を祀るため,魯藍哀公が孔子の死後2年目(紀元前478年)に建てさせた廟。その後,歴代の皇帝が拡張を重ね,現在のものとなった。
 老木に囲まれた廟は,帝王の宮殿と同じ様式と格調をもち,ひとつの城といえる。中国に現存する三大宮段(北京の紫禁域,泰山の岱廟)のひとつで,殿内には,貴重な文物が多数収蔵されている。

 ●孔府(コンフー)

 孔子の子孫が住まいとしたところ。孔家の権力のほどをうかがわせる壮大な建物で,西路は客室,東路は孔家の廟、中路は官衙で,奥が孔家の住まいであった。このように官衙、廟,住まいの3つがひとつになった建物は,典型的な封建貴族の荘園造りである。
 現在はそのままそっくリホテルとなっており,往時の雰囲気を味わえる。全体は細長〈、庭を挟んで左右両側に部屋が並んでいて、木も計算された配置に植えられており.陶製のテーブルやイスもしゃれている。

 ●孔林(コンリン)

 孔子とその子孫の墓。1800畝を超える敷地のあちこちに孔家一族の墓が点在している。その時々の勢力によってか.それとも経済力によってか,それぞれに規模も様式も違い,興味深い。この広大な墓園は人工森林で,古木だけでも2万株もあり,川も流れていて,気持ちがいい散歩道である。

 ★孔子

 紀元前551〜前479。春秋時代末期の大思想家で,儒教の創始者。周の周公の政治を実現させようとしたが,魯王に用いられす,諸国を漂泊し,のち魯に戻り,「書経」,「詩経」の編纂,子弟の教育を行なつた。「君君たり,臣臣たり」という秩席維持の思想は封建社会に根を張り,五四運動に至り反封建の打倒日標になった。


 中国・山東省の西南部、えん州駅から車で三十分。白茶けた大地が広がる中に孔子のふるさと、曲阜はあった。とくに繁華街があるわけでなし、高いビルもない。空の広さが印象的な街だ。
 曲阜は紀元前の春秋時代は魯国の首都だった。孔子は春秋末期の紀元前551年、この町で生まれ、同479年2月、この町で死んだとされている。今の太陽暦に直すと、春、4月になる。
 曲阜で国政に参画したのは、わずか4年にすぎないが、曲阜は今では孔子のふるさととして知られる。その理由は市内に一歩入ってすぐわかった。
 中心部にでんと構えているのは、孔子を祭った孔廟。隣に孔子直系の子孫の住居であった孔府。そして、孔子とその子孫の墓、孔林。合わせて三孔と呼ぶ。この三孔巡りの観光客は一年中、絶えることがない。曲阜は今では三孔を″財産″とする観光都市なのである。
 おまけに市内め人口五十数万人のうち、孔子の子孫を称し、孔姓を名乗る人は十数万人。四分の一以上を占めている。まさに孔子の街である。
 十数万市民の先祖を祭るのが孔廟。孔子の死の二年後に魯の哀公が建てた。中国三大古代逮築群の一つという。群という通り、大きな建物だけで10を超える。
 いくつもの門をくぐった後、ひときわ大きな建物の前に出る。正面に「大成殿」の額。これが孔廟の本殿である。中に入ると、いすに座った孔子がいるが、あまりにきらびやか過ぎて、ありがたみが薄れる。
 むしろ、大成殿の石柱の竜の彫刻がすばらしい。清の乾隆帝がここを訪れた時、下見の役人がこの石柱を赤い幕で隠すように命じたとか。皇居である紫禁城にさえないものだからだ。孔廟には、それだけの権勢があった。
 皇居さえしのぐ孔廟の権勢は、儒教思想の偉大さを示すものだ。儒教は孔子以後の中国だけでなく、日本、朝鮮を含めた東アジアに大きな影響を及ぼし、この地域の封建体制を支えた。逆に、この地域の近代化は儒教との戦いの過程ともいえる。脱亜論の日本は、儒教を捨てることで近代化をいち早く成し遂げた。中国の近代化の遅れは、儒教がそれだけ浸透していた証拠ではないだろうか。
 孔廟でも、孔林でも、あちこちにつぎはぎだらけの石碑がある。文化大革命中に破壊され、修復したためだという。文革のつめ跡は痛ましいが、貴重な文化財を壊さなければならないはどに中国の封建主義は根強かったのか。
 今、中国は旅行ブーム。小故宮とも呼ばれる孔府で会った煙台から来た元郵便局員たちは「儒教にはいいところもあるし、現実に合わないところもあるさ」という。大連の女性教師三人組は「孔子は教科書で習ったけど、自分の目で確かめたかった」
 曲阜の観光地化はそれだけ封建思想が薄らいだことを示し、孔子と儒教に対する中国人の客観的な姿勢は、それだけ中国のいう現代化(近代化)が進んできたことを物語っているようだ。

孔府(孔子の子孫の住まい)
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