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             日本は「漢字」や「箸」の使用料を払ったのか

 当時、中国の工場との合作方式には、「技術提携方式」及び「技貿結合方式」と言う2つの合作方式がとられていた。「技術提携方式」の合作は、航空工業部系列の工場(四輪車)や済南軽騎摩托車厰(二輪車)、その他の工場との合作方式は「技貿結合方式」であった。

 「技貿結合方式」という言葉は、小生も初めてで・・・。これは中国独特の合作方式で、文字の如く「技術と貿易の結合」である。即ち、中国側がKD部品を購入するから、スズキは設計図面&製造ノウハウを提供するという合作方式である。KD部品を買って貰うから 設計図面を無料で提供するなんて・・・ずっと技術部門で育ってきた私にとって、契約の内容は驚きだった。一方、「技術提携方式」は技術提携料を貰って、設計図面&製造ノウハウを提供する方式だが、沢山の KD部品を買って貰える保証はない。やっと門戸を開いた中国市場に入ろうと世界各国の自動車メーカーが競い合い、契約条件はずんずん中国側にとって有利な方向に向かってしまい、技術提携料などもずんずん少額に・・。おまけに、交渉術は日本人は中国人の足下にも及ばない。・・・例えば、打合せをすれば、最後に「備忘録」を必ず作成する。中国側が作成したものを日訳して「斜め読み」してサインしたら大変なことになる。日本側が合意しなかったことも平気で合意したように書いてあることもしょっちゅうだ。そうなると「備忘録」の調整にまたまた数時間ということもめずらしくはない。・・・最初の頃は、「中国人は特殊な人種」だと感じていたが、つき合いを重ねるうちに、世界的に見て「日本人こそ特殊な人種」と思うようになってきた。丸いというか、すぐに人を信用するというか、阿呆というのか、おまけに交渉が「ド下手」・・・そんな人種こそ特殊だと。

 話が本題からずれて来たようだから、もとにもどそう。「技術提携方式」でも「技貿結合方式」でも設計図面を提供することには変わりないが、いづれも「開発・設計ノウハウ」を提供する契約にはなっていない。しかし、中国側が一番欲しいのは、当然ながらこの「開発・設計ノウハウ」である。9年半余の中国とのつき合いの間に「それは設計ノウハウに関わることだからお話し出来ません。」と断ったことは何十回いや何百回あっただろうか。設計部門の全員が契約内容を理解しているわけではない。スポット的に中国との打合せに出席してもらうと、中国側のペースに乗せられて何でもしゃべり始めてしまうこともしばしばある。これにストップをかけるのは小生の役目だ。このため中国側から恨まれることもしばしば・・・。
 「話してくれ」「お話し出来ません」・・・と喧嘩となることも珍しくなかった。或る打合せの時だった。「その程度のことは教えてくれ!」「それは設計ノウハウに関わることだからお話し出来ない」「話してくれ!」「駄目だ!」・・・中国側は、最後にはカンカンに怒ってしまい、「そんなことも話せないのか!・・・日本人は、漢字を使っているじゃないか!箸も使っているじゃないか!中国に使用料を払ったのか!」と真っ赤な顔になって、真剣に怒鳴り始めた。これにはさすがに参った。

 当時の中国は完全な共産国だ。全ての企業は国営であり、労働者は仕事をしてもしなくても給料は貰えるし、退職してからも十分な年金が貰えるとのこと。だから労働意欲など全くない。自分に与えられた仕事がなければ、何日でも朝から晩までボーッとしている。労働者の数はべらぼーに多いから、例えば一つのユニットを組み立てするのに組み立てテーブルのまわりに、10人ほどが長いすに腰掛けており、一人が或る部品を取り付ける終わると、次の人が腰を上げて次の部品を取り付ける・・・常時9人はだべりながら順番を待っているような仕事振りなのである。一方、「開発・設計ノウハウ」を欲しがる幹部級の人たちは、優秀な人材ばかりである。従業員数○万人の工場の幹部だから、日本で言えば旧帝国大学クラスを卒業したような人たちが多い。とても頭の質では私たち凡人では太刀打ちできそうもない優秀な技術者集団の感じだった。ただし、第2次大戦後、共産主義国となった中国では、自分たちの手による開発は全く行われなかったと言って良いようだ。トラックを例にあげると、戦後旧ソ連から導入したものを何の改善もモデルチェンジもなく40年以上も作り続けているのである。そして、よく故障するのだろう、運転室内にヘッドガスケットなどをぶるさげて・・・。このように、優秀な技術者集団も、自主開発の経験は全くなく、当然開発・設計ノウハウは持っていないのだ。

 或る合作工場との新機種導入の打合せで中国側が「開発」という言葉を多く使った。どうも私たちと話が噛み合わないので、「開発」の意味を問いただしてみると、「スズキから提供される図面で生産化すること」を「開発」と言っているのだ。日本で使う「開発」の意味と全く違う。日本的な意味の「開発」という言葉は、当時の中国ではなくなったのか?。

 このような中国とつき合い、一方 あらゆる産業の分野で世界中の企業が目先の利益だけを求めて中国市場への参入を競い、長い間かかって会得したいろんなノウハウを、ただ同然の値段で売り渡してしまうのを見て、危惧したものだった。中国はもっともっと、このままの状態でいて欲しい。もし、中国の体勢が変わって、人々に競争原理、勤労意欲が芽生えてきたら、どういうことになるんだろうと。改革・開放が叫ばれて数年、驚くほど急速に中国は大変貌を遂げた。そして、更に更に発展して行くであろう。・・自分で自分の首をしめていく、先進国のおろかさを感じる。

 以上、私の感じたままの所見を述べてみましたが、ご異論のある方もおありのことと思いますが・・・・。

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