毎年この時期が来ると、思い出されます・・・。

そうです、通称“マン島ウィーク”です!それは3年前に走行イベントで遠征したイギリスのマン島です。今回は、あの日の熱き思いを語りたいと思います。

皆さんがマン島からイメージする事と言えば、やはり“TTレース”ではないでしょうか?TTレースの語源さえ分からないままの私が見て、そして感じたままのマン島を紹介致します。ヨーロッパ各地からライダーが大集合して来る、言わば、モーターサイクルの聖地と言っても過言ではないと一目でそう思いました。何しろ街はモーターサイクルで溢れるのですから。

島の住民はレースが生活の一部と成っていて、多くの方がレース運営のスタッフにもなっています。又、来島するライダーの為の宿泊の受け入れ (民宿) なども同時に行っていて、マン島の自治体の運営を見ても、レースが文化として根付いており、警察を含め、ライダーに対するコントロールがスムーズにコミュニケートされていて、モーターサイクルそのもののステータスが非常に高く、レーススタッフとして参加する事が、一族の“ステータス”にも成っている様に感じました。これらの事からも、モーターサイクルの社会的地位の高さが伺えます。日本ではちょっと考えられない事ではないでしょうか?

私は、マン島TTコース(60km)を走行出来る機会に恵まれ、レーシングライダー気分で一周する事が出来ました。何しろ一般公道をレーシングコースとして使用するもので、当然、路面の悪さ、ブラインドコーナー、石垣塀、信号ポールなどなど、写真や話では聞いたり見たりしていましたが、とても普通のサーキットでは見られない光景がどんどん目に飛び込んで来て、まさに驚きの連続でした。自らコースを体験してみると、ライダー泣かせのコースである事を再確認しました。 また、コース途中には、風光明媚なワインディングコースなども沢山有り、大変美しい島であると同時に、レース終了後に一般ライダーがレーシングライダー気分で全開走行し、大事故に繋がる事も聞かされ、私も一人のライダーとして「気持ちがわからないでも無いな」と、納得したのも正直な所です。

レーシングコースの設定(公道→R、コース)は、たったの10分で全長60kmが即座に完了します。運営体制が徹底している為だなと関心させられました。ちなみに“TT”とは“Tourist Trophy”の略で、スプリントレースとは違ったレースである事は、これらのコース説明でも充分にお分かり頂けたと思います。

集まったライダーや住民は、ホンダの過去の実績をどう受け止めているかと言うと、我々のチャレンジングスピリットを高く評価しています。マシンメカニズムの評価はもとより、性能技術に対しても賛美してくれています。なぜなら、こういった性能や技術を実証させた多くのライダーがホンダにはいるからです。特に日本人ライダーは“ヒーロー”として高く認識されています。ヒーローとして称える為に、なんと、マン島郵政省の記念切手やコインの図柄絵として取り入れられたりするのです!又、あるライダーはなんと、地名にまで引用されているのにはビックリさせられました。

こういった事からもモーターサイクルの認識の高さやライダーに対する誇りを窺い知れます。したがって、当時のマシンやライダー共々、時代考証を正確に再現し、記録樹立を果たした感激を、今なお彷彿させる歴史と誇りあるTTレースの走行イベントに参加出来た事を、私は今でも誇りに思っています。そして、あの時の熱気と興奮とホンダ・サウンドが、再び私の脳裏に蘇ってきます・・・。それが昨日のように思い出される、今日この頃です。


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ホンダマン島TT参戦40周年記念イベント
        遠征の思い出
マン島での活動記録
コレクションホール車両の整備を行ったホンダUKのガレージでは、
ジャーナリストを招いてのレセプション時にマシンのエンジンを
始動して大勢の人を沸かせた。1999.6.4
マン島に遠征したマシンとメカニックたち。ホンダUKのガレージにて。
1999.6.5
ホンダUKのガレージ前でエンジン始動テスト。そのエキゾースト
ノートが大勢の人を呼び寄せる。1999.6.5
6月5日はグランドスタンド前のスタートラインからクロスビー・
クロスまでのパレードが行われた。その走行前の待機場にて。
左からトミー・ロブさん、コレクションホール青山館長、そして
TTRA(TT Riders Association)の会長、アラン・ロビンソンさん。
背景はスタートラインのあるグランドスタンド。1999.6.5
川本本田技研相談役(前社長)とルイジ・タベリさん。
昨年のありがとうフェスタの思い出を語り合い、
自然に笑みがもれる。1999.6.5
待機場に見物に集まった人たち。今回のイベントは、とても
オープン。皆が参加している感覚のアットホームな雰囲気の
中で進行する。1999.6.5
ジム・レッドマン(左)とラルフ・ブライアンズ(中右)がともに戦った
同士、お互いの様子を語り合う。二人の間にいる女性は
レッドマンさんの奥様。1999.6.5
このイベントのために駆けつけてくださった河島喜好最高顧問。
彼は40年前に初めて参戦したときのホンダ・チーム監督。
ラルフ・ブライアンズの参加をねぎらう。ここでは時の流れが
止まっている。1999.6.5
待機場からスタートラインへの移動。下り坂になっている。
1999.6.5
スタート直前の様子。大勢の人が間近でホンダ・マルチの音を
聞こうとごった返す。1999.6.5
走行イベントには参加しなかったが、海外初見参の浅間レーサー
・1959年のRC160をはじめとしてマルチシリンダーマシンが
ズラリと並び、観客の注目を浴びる。1999.6.6
静かに見つめる観衆の目の前でいよいよホンダマシンのエンジン
始動。このマシンはRC174。250cc6気筒のRC166をベースとして
開発された300ccマシンで、1967年350ccクラスに出場、
チャンピオンを獲得した。1999.6.6
耳をつんざく爆音が観衆でぎっしりの広場に響き渡る。1999.6.6 1959年の浅間火山レースデビュー以来、海外に一度も出た
ことのないRC160が初めてマン島の地で250cc4気筒・ベベル
ギヤ駆動のエンジンサウンドを披露。観衆はホンダワークス
初期の250ccサウンドに賞賛の声を贈ってくれた。1999.6.6
クレグ・ニー・バーでのウォーミングアップ風景。1967年以来この地では響いて
いない6気筒サウンドを聞こうと大勢が集まる。中にはこの音を全身で楽しむか
のように耳もふさがずただ排気ガスのパルスに身を任せている猛者も
。交通規制のおまわりさんも「ここに帰ってきてくれてありがとう。この音が
本当に懐かしい。当時僕は20歳だったけどね。みんながこの音を待って
いたんだよ。」と、握手を求めてきた。1999.6.7
クレグ・ニー・バーのスターティングポイント。鈴なりの観衆の
中、エンジン音が轟く。1999.6.7
ルイジ・タベリさん+RC149(1966年125cc5気筒)1999.6.7 ラルフ・ブライアンズさん+RC174(1967年300cc6気筒)1999.6.7
トミー・ロブさん+RC166(1966年250cc6気筒)1999.6.7 スタン・ウッズさん+RC163(1962年250cc4気筒) 1999.6.7
ジム・レッドマンさん+RC181(1967年500cc4気筒) 1999.6.7 パレードを終え整列したワークスマシンとホンダのスタッフ。1999.6.7
TTRAの新会長はルイジ・タベリさん。会員にイヤープレートが
一人づつ手渡され、握手が交わされる。手前は、コレクション
ホールの車両レストアの陣頭指揮をとる小林勝。1999.6.7
タベリさんからレッドマンさんにもプレートの授与。会員の見守る中、
会話も弾んでしまう。1999.6.7
.
マン島スナップ
マン島TTのコースはすべて、一般公道。グランドスタンド前も
例外ではなく、普段は車やバイクが行き交っている。背景は
ラップ毎の順位を表示する長いボード。1999.6.3
レースの合間のグランドスタンドとコントロールタワー。1999.6.5
クレグ・ニー・バーのコーナーへは長い下り坂が続き(次の写真もご覧ください)、
このコーナーで急激に屈曲、そしてさらに長い下り坂が待っている。見所になる
のも頷ける。観客にもご注目!!コース横の土手に陣取っての観戦。1999.6.7
前の写真の位置から逆方向を望んだところ。TT-F1マシンを始め
として、レーサーが山を猛スピードで駆け下りてくる。1999.6.7
クレグ・ニー・バーのコーナーからの長い下り坂を疾走するジム・
レッドマンさん。甲高いエキゾーストノートが大観衆の待つグランド
スタンドに向け遠ざかって行く。1999.6.7
マン島南部の古い町、キャッスルタウンにあるマン島銀行
(Isle of Man Bank)。1999.6.4
キャッスルタウンの中央にそびえるのは古くからの城塞。今でも独自の通貨を流通
させている国としての長い伝統と威厳を感じる。赤地に三本足の旗が翻る。1999.6.4
マン島TTの有名な観戦スポットであるクレグ・ニー・バーのコーナーに昔から
あるレストラン。厳しい自然の中で耐えてきた風格がある。6月7日のイベントは、
ここからスタートしてゴール地点に至る走行。1999.6.
広場のすぐ脇の町並み。のどかな時間が流れる。ここマン島でもバスは
二階建て。ホンダが初めて参戦した時から、変わっていない。1999.6.6
マン島最大の町、ダグラスのホテルから見たダグラス湾の朝。
長い砂浜が続く。1999.6.7
ホテルからダグラス湾を望む。1999.6.7 ダグラスとは島の反対側に位置するピールの町。強固な城砦のある港町。時間
から取り残されたようなのどかな風景がマン島のもうひとつの魅力。1999.6.8
ここかしこで目にするマン島のマーク。これはパブの入り口に
あったプレート。1999.6.8
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■参加車両
 ○RC149 ○RC160 ○RC163 ○RC166 ○RC174(2台) ○RC181
1999年6月5・6・7日
 
ホンダマン島TT参戦40周年記念イベント