|
|
Hondaが、250ccクラスにおいて1961〜62年に達成した19連勝という連勝記録は、その後しばらく破られることはなかった。そしてこの記録を突き崩したのは、やはりMVアグスタだった。MVは68〜69年にかけて、20連勝をマーク。それまでのHondaの記録を1勝上回り、再びグランプリにおける連勝記録のトップの座についた。
|
|
|
|
このMVのチャレンジには、完全にHondaの記録への挑戦という側面が見てとれる。Hondaとマイク・ヘイルウッドが67年限りで500ccクラスのフィールドから撤退し、MVにとって68年からのシーズンはまさに好機到来ともいえる環境だった。MVとジャコモ・アゴスチーニはその年の開幕から連勝街道をばく進し、全10戦を完全優勝してみせた。さらに全レースでファステストラップを記録するという、完璧な勝利と言えるシーズンだった。 |
|
|
その強さは、続く69年にも継続されることとなる。開幕からの連勝は続き、またファステストラップの記録も伸ばし続けられた。そしてアゴスチーニとMVは、第10戦アルスターTTにおいて20連勝をマーク。ここに、新たなグランプリの連勝記録が樹立されることとなった。 |
|
だが、その後MVとアゴスチーニは、不可解な行動をとる。地元グランプリである第11戦イタリアGPを欠場してしまうのだ。Hondaの連勝記録を破るという目標を達成したからなのか、それとも他に何かしらの原因があったのか、今となってはその理由は謎に包まれたままだ。しかし、いずれにしてもMVの連勝記録は20勝として、グランプリの歴史に刻まれたことに間違いはなかった。 |
|
|
|
|
その後も、500ccクラスはMVによって牛耳られていたことは明らかだった。圧倒的な強さに陰りはなく、いとも簡単にシリーズチャンピオンを決めてはシーズン終盤を欠場するという年が続いていた。MVは、日本製2ストロークが台頭してくる73年まで、連続してタイトルを守り続けた。 |
|
|
|
|
|
Hondaが500ccクラスに復帰したのは、1979年のことだった。82年にはフレディ・スペンサーとNS500によって復帰後初優勝を果たし。すぐさま500ccクラスのトップコンテンダーへの道を駆け昇ることになる。
しかし、時代は60年代後半のようなのどかな雰囲気に包まれていたわけではない。Hondaはもちろん、ヤマハ、スズキによる実力拮抗のレースが繰り広げられ、チャンピオンは毎年のように入れ替わった。グランプリ500ccクラスは、本当の意味で最高のライダーとマシンによって彩られ、その人気はかつてないほどに盛り上がっていった。
|
|
|
Hondaが1-2-3位の表彰台を初めて独占したのは83年の第2戦フランスGPのことであり、この年500ccクラスに復帰後初めてのライダー/メーカータイトルを獲得している。しかし、80年代はまさに群雄割拠の時代であり、簡単に連勝を許してくれるほど500ccは甘いクラスではなかった。
またこの時代、Hondaのライダー層の厚みが充分であるとはいえなかったこともある。さしたるライバルもいなかったMVとアゴスチーニの時代ならいざしらず、毎年のようにチャンピオンが入れ替わる時代にあって、トップを狙える実力をもったライダーを複数擁することは、連勝なりメーカータイトルを実現するための欠くべからざる条件だった。これには、500ccクラス全体としての成熟も必要だった。500ccに乗ってトップクラスの争いを演じられるライダー層、各メーカーのワークスレベルマシン数の増加…、それらが整ってこそ、メーカー間の真のタイトル争いが繰り広げられる。
|
|
もちろん、多くのライダーが好んで乗りたい…という優れたマシンづくりを抜きにライダー層の増強は実現しない。90年代に入って、Hondaはミック・ドゥーハンをエースライダーとして位置づけ、さらに彼を中心として強力にNSR500の熟成を進めた。そんな中、ウェイン・レイニー(ヤマハ)、ケビンシュワンツ(スズキ)らとの間に繰り広げられた壮絶なレースは、今でも多くのファンの心に残る素晴らしいシーンとなった。
|
|
|
|
|
そしてドゥーハンは、その激闘を勝ち抜き、94年からの黄金時代を築き上げた。彼自身の努力と成長、そしてNSR500の戦闘力と安定性の向上が相乗効果をあげ、ドゥーハン+NSR500は90年代という、グランプリが成熟してからの時代で初めて「圧倒的な存在」と成り得た。
Hondaの連勝記録は、そんな時代の中で達成された金字塔だった。97年の開幕戦を制したドゥーハンとNSR500は、まさに破竹の勢いでシーズンを駆け抜けた。ただここで注目したいのは、他のHondaライダーも充分にトップを狙える力を備えていた…分厚いライダー層が形成されていたという部分だ。地元スペインGPを制したアレックス・クリビーレ。岡田忠之がポールポジションを奪うこともあった。カルロス・チェカの鋭い走りも注目に値するものだった。
こうして、Hondaは97年の全15戦を制し、続く98年も開幕から好調ぶりを継続させた。Hondaライダーは連勝街道を疾走し、第5戦フランスGPにおけるクリビーレの優勝によってHondaはMVの持つ20連勝に肩を並べた。
|
|
|
|
第6戦スペインGPでは、地元開催のレースに張り切るチェカがウィニングチェッカーを受け、Hondaはついに21連勝という前人未到の記録を達成。そして第7戦オランダで本領を爆発させたドゥーハンがポールtoフィニッシュにファステストラップのおまけをつけて優勝。記録は22連勝となった。
|
|
|
だが、最良の条件とその予見がいつもライダーを優勝へ導くとは限らない。続く第8戦イギリスGPにおけるサイモン・クラファー(ヤマハ)は、まさにすべてがピタリとはまった状態だったのかもしれない。長いレースの中には、必ずそういう瞬間を手に入れるライダーがいるのも確かだ。全ての条件と運以上のなにかを得たクラファーは、予選トップ、そしてレース中の最速ラップも奪い、自身初のウィニングチェッカーを受けた。
タイヤ選択に多少の問題はあったかもしれないが、ドゥーハンもベストのレースを展開し全力を出しきった。しかし、結果は2位となった。この瞬間、Hondaの連勝記録は「22連勝」という数字をグランプリの歴史の中に確定させることとなった。
|
|
|
連勝
記録 |
年度 |
月日 |
ラウンド |
GP |
ライダー |
備考 |
1勝 |
1997 |
04.13 |
01 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
1-2-3位独占 |
2勝 |
1997 |
04.20 |
02 |
Japan |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4-5-6位独占 |
3勝 |
1997 |
05.04 |
03 |
Spain |
Alex CRIVILLE |
1-2-3-4-5位独占 |
4勝 |
1997 |
05.18 |
04 |
Italy |
Mick DOOHAN |
|
5勝 |
1997 |
06.01 |
05 |
Austria |
Mick DOOHAN |
|
6勝 |
1997 |
06.08 |
06 |
France |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4-5-6位独占 |
7勝 |
1997 |
06.28 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
|
8勝 |
1997 |
07.06 |
08 |
Italy |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4-5位独占 |
9勝 |
1997 |
07.20 |
09 |
Germany |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4位独占 |
10勝 |
1997 |
08.03 |
10 |
Brazil |
Mick DOOHAN |
|
11勝 |
1997 |
08.17 |
11 |
Great Britain |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4位独占 |
12勝 |
1997 |
08.31 |
12 |
Czechoslovakia |
Mick DOOHAN |
|
13勝 |
1997 |
09.14 |
13 |
Europe |
Mick DOOHAN |
1-2-3位独占 |
14勝 |
1997 |
09.28 |
14 |
Indonesia |
Tadayuki OKADA |
1-2-3-4位独占 |
15勝 |
1997 |
10.05 |
15 |
Australia |
Alex CRIVILLE |
シーズン完全優勝 |
16勝 |
1998 |
04.05 |
01 |
Japan |
Max BIAGGI |
|
17勝 |
1998 |
04.19 |
02 |
Malaysia |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4-5位独占 |
18勝 |
1998 |
05.03 |
03 |
Spain |
Alex CRIVILLE |
1-2-3-4-5位独占 |
19勝 |
1998 |
05.17 |
04 |
Italy |
Mick DOOHAN |
1-2-3-4-5位独占 |
20勝 |
1998 |
05.31 |
05 |
France |
Alex CRIVILLE |
1-2-3-4-5位独占 |
21勝 |
1998 |
06.14 |
06 |
Spain |
Carlos CHECA |
|
22勝 |
1998 |
06.27 |
07 |
Netherlands |
Mick DOOHAN |
|
|
|
|
2002年から施行されるMotoGPは、どんなレースの世界を見せてくれるのだろうか。そして、22連勝を上回るような歴史的なレースは、いつ訪れるのだろうか。グランプリはいつも期待に満ちている。グランプリはいつも、未来に向かって走り続けている。
そしてグランプリは間違いなくこれからも、偉大な歴史を刻み続けていくだろう。
|
|
|
|
1950年、グランプリの開始2年めから、MVアグスタは500ccクラスにチャレンジを開始していた。この年は最高順位3位、メーカーランキングでは4位という、まだまだルーキーと呼ぶにふさわしい存在だった。 |
|
そんなMVが500ccクラスのトップコンテンダーに躍り出たのは52年のこと。この年、レスリー・グラハムによってライダーランキング2位となったMVは、その後70年代に至るまで、常にこのクラスのリーダーシップを握り続けた。52年の第7戦イタリアGPで500ccクラス初優勝を果たしたMVは、その後の営々たる歴史の中で、その優勝数を積み重ねてきた。
|
|
|
|
|
だが時代は流れ、MVの栄光の歴史にも終焉の時が訪れる。76年の最終戦、西ドイツGP。雨のニュルブクリンクで打ち振られたチェッカーフラッグが、MVにとって最後のウィニングチェッカーとなった。この時までにMVが500ccクラスで重ねた優勝数、139勝。それはまさに、並ぶもののない絶対的な数字でもあった。
Hondaが500ccクラスで初優勝を達成したのは、1966年の第2戦西ドイツGP。60年代のレースでは、2年の参戦で10勝をマークするにとどまってる。そして82年のNS500の投入から、Hondaの新しい500ccクラスへの挑戦が始まった。以下に、年毎の優勝数をまとめてみよう。
|
|
|
|
そんな中、新記録に向けた2000年シーズンがスタートした。しかし、Hondaは開幕から波に乗ることが出来なかった。というより、500ccクラス全体がある種の混乱の中でシーズンをスタートさせていた。第1戦ギャリー・マッコイ(ヤマハ)、第2戦ケニー・ロバーツ(スズキ)、第3戦阿部典史(ヤマハ)、第4戦ケニー・ロバーツ(スズキ)と、その優勝者の出入りは激しく、Hondaがシーズン初優勝を果たすのは第5戦のクリビーレを待たなければならなかった。
このクリビーレの優勝で、Hondaは通算139勝とMVの同数に並び、続く第6戦イタリアGPを迎えた。そしてこのイタリアGPは、シーズンの中でもトップに挙げられるほどの好レースとなった。序盤からロリス・カピロッシがレースをリード。これを500ccクラスルーキーのバレンティーノ・ロッシとヤマハのマックス・ビアッジが追うという、イタリアGPとして最高のお膳立てが揃っていた。
中盤以降、ロッシのプッシュは執拗にカピロッシを追いつめ、何度も首位を入れ替える展開となった。そしてラスト2周、トップに立って最後のワイドオープンを試みたロッシが転倒。また、これに続いてカピロッシに迫ったビアッジもラストラップに転倒し、イタリアGPは熱狂の渦に包まれながらその幕を閉じた。
|
|
優勝、ロリス・カピロッシ。これがHondaの500ccクラス、140勝達成の瞬間だった。
そして、この2000年に6勝、2001年にはグランプリ通算500勝達成を含む12勝を加算し、Hondaは合計156回の勝利を500ccクラスのレースに刻み込んだ。
|
|
|
|
|
以下に、その記録達成に貢献した19名のライダーを、初優勝年度の古い順に並べてみよう。 |
|
|
|
ライダー |
年度 |
月日 |
ラウンド |
GP |
マシン |
備考 |
1 |
|
Jim REDMAN |
1966 |
05.22 |
02 |
West Germany |
RC181 |
500cc初優勝 |
2 |
|
Mike HAILWOOD |
1966 |
07.24 |
07 |
Czechoslovakia |
RC181 |
|
3 |
|
Freddie SPENCER |
1982 |
07.04 |
07 |
Belgium |
NS500 |
2ストローク初優勝 |
4 |
|
Takazumi KATAYAMA |
1982 |
08.08 |
10 |
Sweden |
NS500 |
|
5 |
|
Randy MAMOLA |
1984 |
06.30 |
08 |
Netherlands |
NS500 |
|
6 |
|
Wayne GARDNER |
1986 |
05.04 |
01 |
Spain |
NSR500 |
NSR500初優勝 |
7 |
|
Eddie LAWSON |
1989 |
04.30 |
04 |
Spain |
NSR500 |
|
8 |
|
Pier-Francesco CHILI |
1989 |
05.14 |
05 |
Italy |
NSR500 |
|
9 |
|
Mick DOOHAN |
1990 |
09.02 |
14 |
Hungary |
NSR500 |
|
10 |
|
Alex CRIVILLE |
1992 |
06.27 |
08 |
Netherlands |
NSR500 |
HondaGP通算300勝 |
11 |
|
Daryl BEATTIE |
1993 |
06.13 |
06 |
Germany |
NSR500 |
|
12 |
|
Alberto PUIG |
1995 |
05.07 |
04 |
Spain |
NSR500 |
|
13 |
|
Luca CADALORA |
1996 |
03.31 |
01 |
Malaysia |
NSR500 |
|
14 |
|
Carlos CHECA |
1996 |
09.15 |
13 |
Europe |
NSR500 |
500cc通算100勝 |
15 |
|
Tadayuki OKADA |
1997 |
09.28 |
14 |
Indonesia |
NSR500 |
|
16 |
|
Max BIAGGI |
1998 |
04.05 |
01 |
Japan |
NSR500 |
|
17 |
|
Loris CAPIROSSI |
2000 |
05.28 |
06 |
Italy |
NSR500 |
500cc通算140勝 |
18 |
|
Alex BARROS |
2000 |
06.24 |
08 |
Netherlands |
NSR500 |
|
19 |
|
Valentino ROSSI |
2000 |
07.09 |
09 |
Great Britain |
NSR500 |
|
|
|
さらに、これを優勝回数順に並べてみる。表には各ライダーの生年月日と国籍を記し、同回数の場合は初優勝の古い順としてある。 |
|
500ccクラス優勝回数順 |
生年月日 |
国籍 |
優勝数 |
1 |
|
Mick DOOHAN |
1965.06.04 |
オーストラリア |
54 |
2 |
|
Freddie SPENCER |
1961.12.20 |
アメリカ |
20 |
3 |
|
Wayne GARDNER |
1959.10.11 |
オーストラリア |
18 |
4 |
|
Alex CRIVILLE |
1970.03.04 |
スペイン |
15 |
5 |
|
Valentino ROSSI |
1979.02.16 |
イタリア |
13 |
6 |
|
Mike HAILWOOD |
1940.04.02 |
イギリス |
8 |
7 |
|
Randy MAMOLA |
1959.11.10 |
アメリカ |
4 |
8 |
|
Eddie LAWSON |
1958.03.11 |
アメリカ |
4 |
9 |
|
Tadayuki OKADA |
1967.02.13 |
日本 |
4 |
10 |
|
Alex BARROS |
1970.10.18 |
ブラジル |
3 |
11 |
|
Jim REDMAN |
1931.11.08 |
ローデシア |
2 |
12 |
|
Luca CADALORA |
1963.05.17 |
イタリア |
2 |
13 |
|
Carlos CHECA |
1972.10.15 |
スペイン |
2 |
14 |
|
Max BIAGGI |
1971.06.26 |
イタリア |
2 |
15 |
|
Takazumi KATAYAMA |
1951.04.16 |
日本 |
1 |
16 |
|
Pier-Francesco CHILI |
1964.06.20 |
イタリア |
1 |
17 |
|
Daryl BEATTIE |
1970.09.26 |
オーストラリア |
1 |
18 |
|
Alberto PUIG |
1967.01.16 |
スペイン |
1 |
19 |
|
Loris CAPIROSSI |
1973.04.04 |
イタリア |
1 |
|
|
|
|
|
計156 |
|
|
1949年のグランプリ開始から53年。2001年シーズンいっぱいまでで、正式にカウントされた500ccクラスの有効レースは、579回。そのひとつひとつに勝者があり、ドラマがあり、歓声があった。
その内、156回の勝者と成り得たHondaは、いつもその歓声とともにあったことを至上の喜びとし、MotoGPの時代へと新たなチャレンジを続けることだろう。
|
|
|