e
e
1961年「第4回クラブマンレース」の写真集
ジョンソン基地(7月21〜23日)
50cc:優勝の西久保功(ABCスピード ランペット) 125cc優勝の藤井敏雄(城北ライダース コレダセルツイン)
250cc:優勝の折懸六三(ハイスピリッツ ドリームCB72) 350cc:優勝の片山義美(神戸木の実 ドリームCB77)
最高スピード賞
500cc:優勝のボイヤー(ヨコタMC BSA) 501cc以上:優勝の安良岡健(オールジャパンGP Triumph)
  
日本選手権125cc優勝の鈴木誠一(城北ライダース スズキ RT61 ワークスマシン).。
2位は藤井敏雄(城北ライダース コレダセルツイン)
日本選手権250cc優勝の宇野順一郎(Cレンシュポルツ ドリーム)
日本選手権250cc鈴木誠一(城北ライダース)が、スズキ RV61 ワークスマシンで出場したが失格
初の女性ライダー田中照子さん(東京オトキチ) 50ccに出場。
予選を通過、決勝レースは1周オクレの17位。
日本選手権250ccで健闘したステュードベンツ(ヤマハ)と
田中照子さん(19歳)が敢闘賞を受賞。
.

   「日本選手権レ−ス」にワークスマシンのRT61(125cc)、RV61(250cc)が出場


 世界選手権レ−スに出場したRT61、RV61は故障だらけで完走もおぼつかない状況にあり、全WGP出場予定だった計画を取りやめ、ベルギーGPを終わって7月22日に帰国することになった(メニュー1表の【
1961年本文】を参照)こんな状況下にも拘わらず営業部門より本クラブマンレースへの強い出場要請があり、強引に押し切られたような状態で出場することになった。ライダーは両マシンともに「城北ライダース」の主将鈴木誠一さんと久保和夫さんである。「日本選手権レ−ス(7月23日)」はライダー・マシンの出場制限はなく、そして「クラブマンレース」の上位入賞者5名が招待される。
 RT61、RV61は、ワークスマシンである。クラブマンの方々を相手に無様(ぶざま)な負け方は絶対出来ない。完走出来るだろうか?・・・こんな心配をしながらジョンソン基地にマシンを持ち込んだ。

日本選手権125ccレース(30周96.1Km)

出走車のワークスマシンはスズキの2台とトーハツの8台
1周目:森下勲(トーハツ)・吉村嘉光(トーハツ)・花沢昭(トーハツ)・久保和夫・鈴木誠一・一之瀬一郎(トーハツ)・田村三夫(トーハツ)。
3周目:森下・吉村・一之瀬・鈴木誠一・藤井敏雄(コレダセルツイン)・久保和夫。
5周目:上位の順位は変わらず。久保和夫がピットインしリタイア。
6周目:鈴木誠一は一之瀬を抜いて3位に。
7周目:森下・吉村・鈴木誠一・藤井敏雄・一之瀬。
10周目:鈴木誠一・吉村・藤井敏雄・森下。そして森下はピットイン。
11周目:鈴木誠一・吉村・藤井敏雄・有川英司(トーハツ)・一之瀬。
13周目:鈴木誠一・藤井敏雄・吉村がヘヤーピンで転倒し3位に落ちる。
16周目:藤井敏雄・鈴木誠一・吉村。
17〜18周目:鈴木誠一・藤井敏雄・吉村。
19〜29周目:藤井敏雄・鈴木誠一・吉村。
ゴール:鈴木誠一・藤井敏雄・吉村。
 鈴木誠一が優勝こそしたものの、平均時速は99.36kmで、クラブマン125ccの優勝者 藤井敏雄(コレダセルツイン)の100.32kmに及ばなかった。

日本選手権250ccレース(30周96.1Km)

 
久保和夫は不出場。RV61での出場は鈴木誠一の1台である。出走車は僅かの6台。
スタート〜1周目:鈴木誠一のRV61は150mくらい押しても始動しない。見かねた競技役員他がマシンを押し(ここで失格)スタートして行った。1周目トップでもどって来た望月泰志(ヤマハ)の300m位前だった。続いて岡野正雄(ヤマハ)・宇野順一郎(ドリーム)・市川勝夫(ドリーム)・スチュードベンツ(ヤマハ)の順。
2周目:宇野・岡野・市川・そして1km遅れてスチュードベンツ・更に1km遅れて鈴木誠一。望月は転倒して脱落。
6周目:宇野・岡野・市川・1km遅れて鈴木誠一・スチュードベンツ。
11周目:宇野・岡野・600m遅れて鈴木誠一・
市川・スチュードベンツ。
16周目:宇野・1km遅れて鈴木誠一・岡野・市川・スチュードベンツ。
18周目:宇野・鈴木誠一はピットインし、失格を知りリタイア。
28周目:宇野・市川・岡野・スチュードベンツ。
ゴール:宇野・市川・岡野・スチュードベンツ(7周オクレ)。
 始動性の悪さを露呈したRV61・・・鈴木誠一の追い上げに観衆は喜びはしたが・・・。

 125ccレースでの鈴木誠一の優勝で何とか面目を保ったが・・・。クラブマンの方々、観衆はスズキワークスマシンにどのような印象を持たれたのであろうか・・・?。自信のないレース部門の意見を無視して、強引に出場を迫った営業部門を憎みたくもなる心境だった。もし、125ccレースでの鈴木誠一の優勝がなかったら・・・・背筋が寒くなった。
 クラブマンレースの中で一番記憶に残っているレースである。
.
Menu へ