1962年4月28・29日 (城北ライダース 4連覇) 主将の鈴木誠一不在でクラブ優勝 |
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城北ライダースの主将鈴木誠一さん(誠ちゃん)は、この「第6回全日本モトクロス大会」開催時には日本にいなかった。スズキワークスチームのライダーとして、シンガポールGPを皮切りにヨーロッパのWGPを転戦していたのである。1962年4月17日にシンガポールに向かい、ワークスマシンのRT62、RV62で、22日のシンガポールGPの125、250ccレースに出場、250ccでは惜しくもスリップ転倒し足を負傷してしまった。スズキのヨーロッパWGP選手団(筆者もその一員)は4月25日羽田を出発し、翌26日パリー空港でシンガポールからの誠ちゃんたちと合流した。日本からの便が先に到着し1時間半ほど待って、シンガポールからの便が到着し、彼が杖をついて出てきたのを今も鮮明に覚えている。 ヨーロッパで誠ちゃんは、新しく選手権レースに加わった50ccに新開発のRM62で参戦することになっていたが、第1戦目のスペインGPは足の怪我が癒えず欠場、第2戦のフランスGPではスズキ最高位の5位、第3戦のTTレースでは8位(このレースで Degner が優勝しスズキにWGP初優勝をもたらした)、第4戦の Dutch TT と第5戦のベルギーGPでは共にスズキ日本人ライダーの中では最高位の4位、第6戦の西ドイツGPでは5位と大いに活躍して、7月22日帰国した。このヨーロッパでの約3ヶ月間、私は誠ちゃんと起居、行動をともにした。なお、11月の鈴鹿の初レース「第1回全日本ロードレース選手権」にもRM62に乗り、ホンダの谷口尚巳さんと同タイムの4位の成績を残している。 誠ちゃん不在の「第6回全日本モトクロス大会」を一手に引き受けた久保和夫さんは、見事クラブ優勝を勝ち取り、城北ライダースの連勝記録を4連勝とのばしたのである。 |
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50cc:優勝の三吉一行(東京スリーホークス ランペット) | 125cc:一ノ谷での激突(優勝は久保和夫 スズキ) @は前回優勝の玉田真市(トーハツ)。 片山義美(神戸木の実)は4位。 |
125cc:優勝の久保和夫(城北ライダース スズキ) フジフィールドランは4位だった。最高スピード賞を受賞。 片山義美(神戸木の実 ポインター)は4位。 |
250cc:優勝の山下藤太(城北ライダース スズキ) |
251cc以上:優勝の池田徳寛(レンシュポルツ BSA500) 片山義美(神戸木の実 ドリーム)は3位。 |
フジフィールドラン: 優勝はスチューベント(ミサワダスターズ ドリーム) 久保和夫は4位。原田稔(スズキスピード スズキ)5位。 |
【クラブ順位】 優勝 城北ライダース 14点 2位 東京オトキチ 12点 2位 東京スリーホークス 12点 2位 トーハツスピード 12点 |
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1962年 「第7回 全日本モトクロス」写真集(十国高原) | |
1962年10月6・7日 (城北ライダース 5連覇) |
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50cc:優勝の長谷見昌弘(青梅ファントム ランペット)15歳の高校生 | |
125cc:優勝の久保和夫(城北ライダース スズキ) 鈴木誠一は5位、山下藤太は7位。小島松久(阪奈レーシング)4位。 |
125cc:2位の荒井市次(阪奈レーシング トーハツ) うしろは、3位となった三吉一行 |
125cc:3位の三吉一行(東京スリーホークス トーハツ) | 250cc:優勝の山下藤太(城北ライダース スズキ) |
250cc:2位の鈴木誠一(城北ライダース スズキ)。 矢島金次郎 3位、久保和夫 4位だった。 |
251cc以上:3位の池田徳寛(レンシュポルツ BSA500) 優勝はリーム(ミサワライダーズ ホンダ) |
【クラブ順位】 優勝 城北ライダース 37点 2位 阪奈レーシング 20点 3位 東京スリーホークス 13点 |
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熱海フィールドラン:優勝は荒井市次(阪奈レーシング トーハツ) 矢島金次郎(城北ライダース スズキ)は4位。 |
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