Menu へ
(5)羽田送迎に家族もゾロゾロと

 1960年5月9日の浜松出発日には、全従業員が本館前に集合し、社長の激励の訓辞を受け、浜松駅へ。プラットホ−ムには社長始め全役員、大勢の従業員も横断幕を持って見送りに来た。現在の修社長の奥さん(当時の鈴木俊三社長の娘さん)まで 見送りに来たいただいたのを覚えている。当時としては、その位大きな出来事だったのだ。

 この年は、前年TTレ−スに初出場したホンダチ−ムと我々スズキチ−ムで、日本選手団を結成して出発することになった。団長は小型自動車工業会の立松さん。5月10日、東京丸の内会館で壮行会を開催した。11日にはスズキの代理店関係主催の歓送会をにのぞみ、夜遅くのBOAC機で、ホンダチ−ムと共にロンドンへ向かった。
 
 渡航する選手団の家族たちも羽田空港まで見送りのため、9日の同じ列車で東京へ。選手団を見送った翌日には、レ−スグル−プの残留者たちが、家族を明治神宮などの東京見物案内して浜松に戻った。家族たちは、東京に3泊したのだが、全て費用は会社持ち。人数制限もなく、私の家族も3名が羽田まで見送りに来たのだった。帰国時にも、レ−スグル−プの人間が、出迎えの家族を引率して羽田まで出迎えた。・・規模はだんだん小さくなっていったと思うが、このような家族の送迎が1964年くらいまで続いた記憶である。今考えると信じられないようなことであるが・・・。当時外国へ行くことは、こんなに大きな出来事だったのである。
家族も羽田まで大勢見送りに。
翌日は残留部隊が明治神宮を案内
浜松駅に社長はじめ大勢が見送りに
(1)パスポ−ト

 1960年と言えば、敗戦から15年がたってはいたが、まだまだ日本は貧乏国で、一般人が海外に出掛けるなんて考えてもみない時代だった。海外旅行が自由化されたのは、1964年であるが、1960年代に海外旅行に出掛けたのは、限られたほんの一握りの人々だったと思う。ヨ−ロッパで日本人の観光客らしき人たちに会ったことは思い出せない。会っていろいろ話した日本人というと、バロセロナのレストランで会った若い数人の「雛の鑑別士」を思い出す。何県出身の人たちかは忘れたが、当時スペインにまで行っていたのだから、ずいぶん特異な仕事なのかなと感じたものだった。
 現在、パスポ−トの取得は地方都市でも簡単に出来るが、当時は、パスポ−トの申請も、受領も、本人が東京の外務省に出掛けなければならなかった。新幹線はまだない頃だから、浜松から東京まで準急で片道4時間、申請に1泊、受領にも1泊を要した。
 なお、現在は、有効期間が5年の数次旅券であるが、当時は1回限り有効の旅券だった。

(2)洋食の食べ方、マナ−の勉強

 当時、一般の日本人で、ナイフとホ−クを使って洋食を食べたことのある人はほとんどなったと思う。ヨ−ロッパに出掛けるには、最低のマナ−を知っておく必要があった。東京の外務省に出掛けた時に、「○○会館」と言うところで、洋食の食べ方、マナ−の勉強をした。先生は「西ドイツへノ−ビザで」の中で紹介している松宮氏で、グリ−ンピ−スの食べ方から・・ナイフにも肉用、魚用がある・・などいろいろ教わったものだ。

 更に、背広も紳士の国イギリスで恥ずかしくない色合いのものを、松宮氏の見立てでチ−ム全員が東京で作ったものだ。

(3)ボックス ティッシュ

 松宮氏が、TTレ−ス初出場のスズキチ−ムのマネ−ジャ−として、入社が決まり、初めてスズキ本社へ顔を見せた時だった。東京から車で来たが(車名は忘れたが、当時マイカ−を持っているなんて・・・)、車内に「ボックス ティッシュ」が置いてあった。当時の日本では、このようなものはまだ発売されておらず、イギリスでの生活が長い松宮氏が向こうから持ち帰ったのであろう。鼻をかむにも・・一寸したことで手を拭うにも・・・便利そうに使っていたが、ずいぶん贅沢な使い方だなあと見ていた記憶がある。・・現在の日本人には、必需品になっているが・・。

(4)渡航直前に入院騒ぎ

 私は渡航を前にして歯の治療に歯医者さんに何回か通った。5月1日のことだったと思う。エア−グラインダ−で歯を削っていた時だ。突然エア−グラインダ−がはずれ(軸をよく締めてなかったらしい)、口の中で暴れ回ったあと、軸が舌の下側に突き刺さった。大分出血はしたが、何とかおさまったので帰宅したが、翌日また出血がひどくなり、止まらないので、病院に入院することになった。点滴もした覚えだ。5月1〜5日まで凧揚げや屋台の引き回しで有名な浜松祭りだが、病院のベッドで夜の屋台のお囃子を聞いていた記憶がある。浜松を5月9日に出発し、11日羽田をたちマン島に向かったが、口の中は大分腫れていて、若干ロレツがまわらなかった。入院費用は歯医者が出してくれたが、お見舞いは果物籠一つだった。現在、こんな医療ミスをやったら、大変なことだろう。
初の渡航準備から羽田出発