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  「エルンスト、デグナー」は、1966年のTTレ−ス50ccを最後にスズキを去った。この年のTTレ−スは海運ストのため、開催は大幅に遅れ、8月末から9月初めにかけての開催となった。このレースを最後にデグナーだけでなく、フランク、ペリスもスズキを去った。尚、元スズキのライダー藤井敏雄くんが公式練習で激突死亡という印象が非常に深いレースである。
 この1966年10月の日本GPにデグナーはカワサキと契約したことは知っていたが、レースには出場はせず、その詳細は知らなかった。このあたりの経緯を元カワサキのfuruyaさん(古谷)のブログに下記のような詳細記事を掲載されているので紹介する。


                  デグナーとカワサキ(1966年日本GP)

カワサキOBのfuruyaさんの記事 (http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/8a687ff9d7c79c07988ad41cbf008117)

  「エルンスト、デグナー」は、ドイツが産んだ名ライダーである。
スズキの契約ライダーとして、またスズカの「デグナーカーブ」でも有名である。

 1966年10月、富士スピードウエイで開催された日本GPにデグナーを登場させるべく契約をしたのだが、練習中に転倒怪我で、カワサキのデグナーは実現しなかった。

 外人ライダーとの契約は、デグナーがはじめてであった。山田さん(後、川重副社長)が直接交渉し私は契約書などお手伝いをしたのだが、さっぱり具体的なことが解らず、MFJの運営委員会で面識のあったホンダの前川さんに,鈴鹿までお伺いして教えて頂いた。9月10日のことである。
 当時、日本の契約書の末尾によく書かれていた「疑義のある場合は、甲乙円満に話し合い」は駄目ですよ。若し書くなら「疑義のある場合は、甲の判断による」など具体的に丁寧に教えて頂いた。

 23日には英語の契約書(案)も出来て、26日に来日したデグナーを神戸のホテルまで迎えに行った。Good Morningと一言いっただけ、明石まで一言も喋らずに(喋れずに)戻ってきた。契約交渉は山田さんがされた。英語が喋れたのである。大したものだと思った。

 29日には、FISCOでテスト走行に入ったのだが。練習中にチェン切れで転倒し、頭を打ったので御殿場中央病院で診てもらった。
大したことはないようなので、10月1日に明石市民病院まで移動し入院させた。

  ところが、3日になって容態が急変した。当時はまだ脳外科の専門医は少なく、診断ももう一つはっきりせず不安であった。
専門医の神戸医大の光野教授に診て頂くために、ツテを総動員して4日に神戸医大に移したのである。

 インターンを引き連れての、光野先生の診断は非常にはっきりしていて「大丈夫です」といって頂いて、本当にほっとしたのをよく覚えている。

 具合が悪くなってからの、デグナーは、まず会話がドイツ語になった。カルテをドイツ語で書くお医者さんもドイツ語が理解できなかった。
9月13日にドイツ留学から戻られたばかりの、大槻さんがGPチームの監督だったので助かった。

 「日本の医学は何十年遅れている」と文句ばかり言っていたデグナーも、プロフェッサーの診断となると何一つ文句を言わなくなった。
欧米でのプロフェッサーの権威がよく解った。

 10月21日にデグナーは無事退院するのだが、その間本番のレースも開催されて大変な1ヶ月半だった。
そんなことで、残念ながらカワサキでのデグナーの走りは見ることなく終わってしまった。

 更に、契約金を円で支払ったのだが、当時は持ち出すことが出来ず、神戸の日銀支店に顛末書を書いて、やっと解決するというおまけまで付いた。

 そんな、懐かしい思い出があるのだが、デグナーを検索していて、スズキの中野さんの書かれた、「デグナー追憶」に出会った。
ホンモノの素晴らしいデグナーに会うことが出来ると思います。是非ご一読を。


カワサキOBの大槻幸雄さんの記事 (http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/173b4e301f78cc7cd94128f8cbe440b2 のコメント欄)

デグナーについて
 デグナーの話、貴君(furuyaさん)が契約の実務をされたことは知りませんでした。デグナーについては強烈な忘れることの出来ないことがあり、もう時効になっていると思い、記します。
 デグナーがまだスズキの契約ライダーの時、山田さんと1965年の鈴鹿でグランプリレースを見学に行き、四日市のホテルで極秘に彼と会い勧誘に成功した。
●追記:

 以下の理由から、大槻さんの記憶は「1964年」の間違いと思われる。

(1)デグナーは1965年9月5日の第12戦イタリアGP125ccで転倒(左大腿部複雑骨折、全治3ケ月)、1965年10月23〜24日開催の第13戦日本GPは欠場し来日しなかったはず。

(2)大槻さんの著書「純国産ガスタービン開発物語−ガスタービン事業の誕生−」(大槻幸雄、2006理工評論出版)に次のような記述がある。「〜フンボルト留学試験を受け〜1965年に三回目にしてやっと合格した。そして〜アーヘン工科大学〜に留学することになった。〜1年余ではあったがドイツの大学の状況も良く分り〜帰国した。〜1966年にドイツから帰国して〜再びレース監督を命ぜられ〜富士サーキットでグランプリレースの総指揮を採った。帰国からレース当日までの約二カ月〜レーシングマシンの改良整備に当たった。」

 この記述からすると、大槻さんが日本に帰国したのは1966年8月末〜9月初(日本GPは10月15-16日)。ただし、「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973八重洲出版)では「1966年10月に帰国したと同時に〜富士のレースが10月16日に迫っていた。」とある。

  上記の古谷さんのブログでは、「1965年8月10日に大槻さん(ドイツ留学)田崎さん(アメリカ異動)のレース関係者の送別会を明石でやっています。大槻さんがドイツから戻られたのは、〜1966年9月13日で〜」とある。

 したがって、1965年日本GP時、大槻さんはドイツにいたはず。

(3)「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」では1965年日本GPについて、「〜渡辺準二の監督によって、第3回日本GP(スズカ)に初出場し〜」とあり、大槻さんは監督をしておらず、(2)はこれと符号する。

 翌年(1966年)の富士サーキットでのグランプリレースの練習で転倒し、御殿場の病院へ入り二日後新幹線で明石へ帰り、明石病院の特別室へ入院。頭痛を訴え診察の結果肩甲骨骨折が判明し、直ちに手術。手術中麻酔が効いていなかったのか痛みがひどく、大声でドイツ語で喚き「日本の医学はこんなに程度が低いのか」と大変であった。その後約10日間入院していたが一向に痛みがとれず、ある日「わしの奥さんは何処に居るか」と扉をたたき、小生が下手なドイツ語で「お前は日本におり、ここには奥さんは居らんよ」といっても「昨日フランクフルトへ飛んでドイツヘ帰ったはずだ」と妙なことを云うので、院長に面接し「彼は世界で有名なライダーであり、亡くなったら裁判で大変なことになる。大丈夫ですか」と攻めよった。その結果髄液を検査したら血が検出され、脳内出血と分かり大変な事態となった。院長へ「大丈夫ですか」と質問したら「70%は大丈夫です」と甚だ無責任な返答であり、小生は烈火のごとく怒り、「70%大丈夫とは何事ですか、直ちに信頼の置ける病院を紹介して下さい」と院長を一係長の身でありながら怒鳴りつけた。(このため、病院から大槻とは礼儀を弁えぬ甚だ無礼な男だと、総務に強い叱責があり総務部長は困られたそうであった)

 そこで神戸大学を紹介され、直ちにその夜救急車が一人の若い人とともに迎えに来てくれた。救急車に乗って、その若い人を見ると、どうも何処かで見たことのある人であり、聞いてみると吃驚したが、旧制第五高等学校(熊本)の同窓の白方君であり、脳外科の日本で五指に入る有名な光野教授の下で助教授をしていた次第で、極めて幸運に報いられたと思った。

 入院後さすが有名教授のもと科学的な診断手術をされ、あっという間に彼は回復した。そして「Herr Otsukiよ日本の医学もたいしたもんだ」と喜んで無事退院ドイツへ帰国した。大問題にならず本件は無事落着した。
 白方君はその後、淀川キリスト教病院の院長として立派な有名な病院にまで育て上げ、その後はその手腕を買われ、京都バプテスト病院の院長に請われてなり、これまた素晴らしい病院へと再生した。この縁もあり、カワサキガスタービン非常用発電設備を2台も買ってもらった。縁とは不思議なものである。
 デグナーが転倒した際、直ちに「どうして転倒したのだ」と御殿場病院で聞いたら「急に何かわからぬがガクットきて転倒した」とのことであったが、後で調べたらミッションが故障してロックしているのが判明し、愕然とした。裁判でもなったら大変なことになっていたと当時を思い出します。
 御殿場、明石病院と2度も誤診しており、それ以後小生は失礼であるが医者を鵜呑みに信用しないことにしている。
 また、藤井君がマン島で事故死されたが、転倒後病院にに駆けつけ、医者に聞いたところ、彼は元気でピンピンしているとのことで、安心したホテルに帰って食事をとり、病院に出掛けようと思っていたら、「Sorry, He was killed]と言われ愕然とした。後に分かったのであるがヘルメットが割れていて、デグナーの経験から脳内出血と分かり、適切な手術が行われていたら救えたのではないかと痛感する。有名なマン島の医者でも誠に頼りないと、憤りとともに痛感する。


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