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(1)50ccでスズキは勝てない

1962・1963・1964年連続メ−カ−選手権を獲得のスズキは、鈴鹿で一度も優勝していない。
 1962年のレ−スでは、Degnerが独走していたが、レ−ス半ばで転倒。続いて市野三千雄が2位以下を大きくリ−ドしていたが、最終ラップに、これ又 転倒してしまい、Robb (ホンダ)が優勝した。
 1963年レ−スは、Taveriのホンダだけが異常に速く、勝てなかった。
 1964年は、メ−カ−タイトルはスズキ、個人タイトルはAnderson(スズキ)に決定しており、スズキは参加せず、レ−スは不成立となった。(ホンダ車だけの模擬レ−スを行い、Bryansが優勝)
 1965年は、ホンダとメ−カ−選手権をかけて、またBryans(ホンダ)とAnderson(スズキ)の個人選手権をかけてのレ−スとなった。今シ−ズン2勝しているDegner(スズキ)は、前レ−スのイタリアGP125ccで転倒し足を骨折のため出場できない。スズキがタイトルをとるには、1・2位をとる必要があり、Andersonが個人タイトルをとるには、Andersonが優勝しBryansが4位以下にならなければならない。いずれもホンダサイドに有利な状況だった。レ−スはAndersonがエンジン不調で1周目は5位、その後、ジリジリと追い上げ、11周にはBryans,TaveriのTop Groupに追いつき、3人のダンゴレ−スとなり、もしかすると鈴鹿50ccでの初優勝かとの期待をもったが、最終ラップ転倒。やはり、鈴鹿では勝てない。そして、メ−カ−はホンダ、個人はBryansにタイトルが決定した。

(2)125ccでホンダが勝てない

1962年は雨中のレ−スで、アイルランドの雨男T.Robb(ホンダ)が優勝し、2位はPerris(スズキ)であったが、1963・1964・1965年はスズキが連勝し、ホンダは勝っていない。
 1963年は、ホンダのエ−スTaveriが1周目トラブルリタイア−。Anderson(スズキ)は序盤Top Groupにいたがエンジンやや不調で遅れる。首位争いはPerris(スズキ)とRedman(ホンダ)となり、Perrisが競り勝った。
 1964年は、Bryans(ホンダ)は序盤で転倒。Anderson(スズキ)が中盤過ぎまで独走の態勢だったが、エンジン不調となり、遅れ始める。Degner(スズキ)は1周目10位であったがジワジワと追い上げ、遅れだしたAndersonにかわりTopに躍り出る。Taveriが懸命に追ったが及ばなかった。前年の鈴鹿250ccで大火傷を負ったDegnerが見事にカムバックしたレ−スだった。
 1965年は、2周目からTaveri(ホンダ)がTopにたち、2位のAnderson(スズキ)との差を徐々に広げる。しかしAndersonは、レ−ス半ばの10周頃からTaveriとの差を詰め始め、終盤の15周にはTopにたち、その後は徐々にTaveriとの差を広げて優勝した。

(3)ヤマハは一度も勝てない

 ヤマハは、125ccでも250ccでも、一度も鈴鹿で優勝していない。
 1962年250ccレ−スは、チャンピオンRedman(ホンダ)の貫禄のレ−ス。伊藤史朗(ヤマハ)とRobb(ホンダ)の2位争いは見ごたえがあったが、伊藤は3位となる。
 1963年250ccレ−スは、最終ラップまで、Redman(ホンダ)、伊藤史朗とReadのヤマハによる3台のもの凄い白熱のレ−スであった。Readは最終ラップ片肺となり遅れたが、伊藤は0.1秒差でRedmanに優勝をさらわれた。
 1964年250ccレ−スは、1周目からRedman(ホンダ)が独走のレ−ス。この年のメ−カ−タイトルはヤマハ、個人タイトルはRead(ヤマハ)が既に決めていたが、鈴鹿では勝てなかった。
 1965年250ccレ−スは、Redman(ホンダ)は前日の350ccレ−ス中に顔を蜂にさされて欠場。Hailwood(ホンダ)の独走のレ−スに終わった。ヤマハのReadは1周目転倒で望みは消えた。この年もメ−カ−タイトルはヤマハ、個人タイトルはRead(ヤマハ)が既に決めていたが、鈴鹿ではやはり勝てなかった。

1960年代の日本GPは、この後は1966年の第4回日本GP、1967年の第5回日本GPともに、富士サ−キットで行われた。
     1962年   1963年   1964年   1965年
50cc Degner (スズキ) Anderson(スズキ) Anderson(スズキ) Bryans  (ホンダ)
125cc Taveri (ホンダ) Anderson(スズキ) Taveri  (ホンダ) Anderson(スズキ)
250cc Redman (ホンダ) Redman (ホンダ) Read  (ヤマハ) Read  (ヤマハ)
個人選手権
メ−カ−選手権
     1962年   1963年   1964年   1965年
50cc    スズキ   スズキ   スズキ    ホンダ
125cc    ホンダ   スズキ   ホンダ    スズキ
250cc    ホンダ   ホンダ   ヤマハ    ヤマハ
ちなみに、これらの年度のメ−カ−・個人のタイトルは下表の如くである。
鈴鹿の優勝者・マシン
                

 
  1962年
全日本選手権レ−ス
  1963年
第1回日本GP
  1964年
第2回日本GP
  1965年
第3回日本GP
50cc Robb  (ホンダ) Taveri (ホンダ) Bryans (ホンダ) Taveri  (ホンダ)
125cc Robb  (ホンダ) Perris (スズキ) Degner (スズキ) Anderson(スズキ)
250cc Redman (ホンダ) Redman(ホンダ) Redman(ホンダ) Hailwood(ホンダ)
[鈴鹿のジンクス]

1962年9月20日、日本初の国際レ−シングコ−ス「鈴鹿サ−キット」が竣工し、1960年代には、次のような、二輪車レ−スのビッグイベントが開催され、優勝者・マシンは、下表の如くである。