e


Motormuseum lexmond (管理人は Hans van Kleef )

RM64 完成車とRK67 エンジンを所有。


Motormuseum Lexmond
Nieuwe Rijksweg 142
4128 BP Lexmond
Nederland
(Phone 31-347-342630)

http://home.12move.nl/~sh305746/

オランダにお出掛けの折には
是非お立ち寄り下さい。
Nick Leeflang が所有する Rk66 マシン(自作のコンロッドを組込)
乗っているのは Stuart Graham
写真提供 及び コピーライト は、「Lump Proof
(Lump Proof さんのご厚意で掲載することが出来ました)
(2)オランダに現存する1960年代スズキワ−クスマシン・部品の紹介
RP (50cc3気筒)とRS (125cc4気筒) のピストン
RP (50cc3気筒) のピストン
(8)日本のどこかの方が所有している「RP、RSのピストン」(HPで見つけた)
《参考》 RK67
 スズキで活躍していた「森下 勲選手」が退社したのは、1965年の2月でした。そして、BSさんが、初めて
WGPに出場したのは、1965年秋の日本GPで、この時のマシンは10速ミッションでした。
 翌1966年には、ダッチTTと最終戦の日本GPに出場し、ミッションは14速になりました。そのマシンが上の
写真ということになります。
 それにしても、スズキのRKと レイアウトといい・・全くというほどそっくりですね・・・・!
 大阪の Wさん、Uさんがそれぞれ所有する「BS 水冷2気筒 ワ−クスマシン」をご好意により、掲載させて
いただきました。
 最初どのような状態のものを入手なさったのかは知りませんが、サ−キットで全開走行出来るまでに、復元
なさった技術と熱意・根性には脱帽です。
 私のように、メ−カ−で図面を頼りに仕事をしてきたものにとっては、考えにくいことです。
画像はクリックすると大きくなります
(3)1966年 BS50ccワ−クスマシン(水冷・2気筒)

エンジンの中味が、殆どカラッポのこのマシンを、所有者の方及び友人の方々はこのマシンの復元
を真剣に考えておられるようだ。・・日本のモ−タ−サイクルレ−シングマシンの宝の一つとして・・・長い
マン島TTレ−スの歴史において、日本人ただ一人優勝した伊藤光夫が乗ったマシンとして・・・マン島
での「ゼッケン8」をつけて・・・後世に残しておきたいと。スズキには、RM62・RK67は現存しても、
RM63はないのだから・・・復元できれば、現所有者とスズキの共同所有にしてもいいのでは・・・復元
作業へのスズキの協力を大いに希望し、期待する。
エンジンNO:「M3−11」、フレ−ムNO:「M3−8」
 シ−トの裏側には、「森下」と大きく書いてある
・スペインGP:森下勲(4位)
・西ドイツGP:森下勲(2位)
・TTレ−ス:森下勲(4位)
・ダッチTT:森下勲(4位)
・ベルギ−GP:森下勲(優勝)
フィンランドGP:森下勲(4位)
「M3−8フレ−ム」の戦歴:
・ベルギ−GP:Degner(2位)
・アルゼンチンGP:Anderson(優勝)
「M3−11エンジン」の戦歴:
RK65(50cc2気筒)、RT66RT67(いづれも125cc2気筒)が現存している
(7)東京の方が所有している「その他のマシン」
 フレームNoは「T3−14」、エンジンNoは「不明(消してある)」であるが、どうもRT66かRT67のようで、
変速機は6段に改造されている。なお、ハンドル、ブレーキ、サスペンション等は一般市販車用の改造品
が大半で、RブレーキドラムのみがRT66用とのこと。

 なお、「T3−14」フレ−ムは、1963年の日本GPに、森下勲が使用したフレ−ムである。

 また、2000年7月2日よりこのマシンは「ホンダコレクションホール」に展示された。
(6)大阪の方が所有している「RT63マシン(125cc2気筒)」
エンジンの中味はなく、カラッポというから、「代理店用の展示車」が流出したものかな?
(5)愛知県の方が所有している「RM63マシン(50cc単気筒)」
「RP66」又は「2気筒のRK」のシリンダ−&ヘッドと思われる
多分「RP68」のケ−ス
1999年の暮れの頃だったと記憶しているが、どなたからか(メ−ルを消去してしまったのか不明)
「RPの部品」だと、下の4枚の写真を戴いた。左の「ケ−ス」は「RP68」の部品と思われるが、右の
「シリンダ−&ヘッド」は「RP68」のモノとは明らかに異なり「RP66」又は「2気筒のRK」のモノのようだ
。スケ−ルでも一緒に写っていれば判断がつくのだが・・・。

ちなみに、「RP66」は「スクエア−タイプの3気筒とも直立のエンジン」、「RP68」は「2階建てのクランク
形式で、下2気筒が水平シリンダ−、上1気筒が直立シリンダ−の3気筒エンジン」である。
(1)日本に現存する1960年代スズキワ−クスマシン・部品の紹介
当時(今も変わらぬと思うが)、「レ−ス用マシンの設計技術」は丸秘事項で、図面・部品は厳重に管理され、
これらの社外への流出は絶対にないものと考えていた。しかし、本ペ−ジで紹介するように、多くの部品
やマシンが日本国内のアチコチ及びヨーロッパにも現存しており、驚きました。誰が持ち出したのか知りま
せんが、悪いヤツがいたものですね。そして、30年以上も廃棄されずに残っていることにも驚きです。秘密
保持を徹底した(つもりの)スズキには「ハ−テックプラザ−」にある数台のマシンしか残ってなく、今となれば
、社外に流出したことにより、当時の面影がアチコチで見られるのも、かえって良かったのかな?・・とも思う。

(2)京都の方が所有している「RP(50cc3気筒)??」の部品
     「RK(50cc2気筒)」のピストン
ピストン径は32.5φ、ピストンピン径は8.4φ
《スケ−ルの長さは50mmです》
     「RP(50cc3気筒)」のピストン
  ピストン径は28φ、ピストンピン径は約6φ
(関西に本ピストンを所有している方もいるようだ)
(1)筆者が記念に所有する「RP(50cc3気筒)」&「RK(50cc2気筒)」のピストン
画像はクリックすると大きくなります
「RP68」は、1967年の日本GP後、1968年シ−ズンに向けて試作手配された「2階建てクランク方式の、下2気筒が水平・上1気筒が直立シリンダ−の水冷3気筒」のニューマシンである。ちなみに、1967年の日本GP公式練習で伊藤光夫が試走した「RP66」は「スクエアタイプの直立3気筒」であった。しかし、「RP68エンジン」の試作完成前の、1968年2月21日、「スズキは、1968年以降の選手権レ−スから撤退する」ことが決定された。この撤退発表後、試作部品が完成した「RP68エンジン」は、テストされることもなく、全くの幻のエンジンとなったのである。

 試作部品の製作完了後、仮組立された「RP68エンジン」の写真が、「1984年別冊モーターサイクリスト誌10月号」と「1994年別冊モーターサイクリスト誌4月号」などに掲載されていたので、下に掲載します。なお、このエンジンは、いまも個人保管で現存しています。
 これらの情報は、野田健一さんから提供いただき、写真もホ−ムペ−ジ日本のファクトリ−レ−シングモ−タ−サイクル(URL は、トップページに記載)から引用し掲載させていただいています。
(3)浜松の方が保管している「RP68(50cc3気筒)」の仮組エンジン
ケ−スの刻印は「J6−53」
これらの写真は、野田健一さんの日本のファクトリ−レ−シングモ−タ−サイクル
(URL は、トップページに記載)から引用し掲載させていただいています。
4気筒のRSと並行開発した3気筒エンジンだが、開発は思うように進まず、「RP」と共に幻のマシンとなった。
(4)東京、今は浜松の方が所有している「RJ66(125cc3気筒)」のケ−ス