和暦 |
年 |
西暦 |
月 |
履歴 |
業務内容 |
昭和 |
26 |
1951 |
3 |
愛知県立豊橋時習館高等学校卒業 |
. |
昭和 |
30 |
1955 |
3 |
静岡大学工学部機械工学科卒業 |
. |
昭和 |
30 |
1955 |
4 |
丸正自動車製造株式会社入社 |
二輪車用エンジンの設計 |
昭和 |
33 |
1958 |
3 |
丸正自動車製造株式会社退社 |
. |
昭和 |
33 |
1958 |
6 |
鈴木自動車工業鞄社:研究課配属 |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
33 |
1958 |
9 |
研究部二輪研究課 |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
34 |
1959 |
5 |
研究部研究課 |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
35 |
1960 |
4 |
研究部研究第一課 |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
36 |
1961 |
1 |
研究部研究三課 |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
41 |
1966 |
1 |
研究開発部レ−スグル−プ |
二輪車レース用2サイクルエンジンの設計 |
昭和 |
42 |
1967 |
11 |
研究開発部 |
四輪車用4サイクルエンジンの開発設計 |
昭和 |
43 |
1968 |
1 |
第二設計部四輪エンジン課 |
四輪車用4サイクルエンジンの開発設計 |
昭和 |
44 |
1969 |
4 |
第三設計部特機設計第二課 |
四輪車用4サイクルエンジンの排気ガス実験 |
昭和 |
45 |
1970 |
6 |
〃 |
四輪バギー車の開発設計 |
昭和 |
45 |
1970 |
8 |
第二設計部四輪エンジン第二課 |
四輪車用2サイクルエンジンの設計、実験 |
昭和 |
46 |
1971 |
9 |
東京研究所 |
小型ロータリーエンジンの開発設計 |
昭和 |
49 |
1974 |
3 |
第二技術部エンジン担当 |
二輪車用大型4サイクルエンジンの開発設計 |
昭和 |
50 |
1975 |
1 |
第二技術部第五設計グループ |
二輪車用大型4サイクルエンジンの開発実験 |
昭和 |
51 |
1976 |
1 |
二輪設計部エンジン実験グループ |
二輪車用大型4サイクルエンジンの開発実験 |
昭和 |
51 |
1976 |
6 |
二輪設計部第二実験グループ |
二輪車用大型4サイクルエンジンの開発実験 |
昭和 |
56 |
1981 |
4 |
二輪設計部 |
二輪車用大型4サイクルエンジンの開発実験 |
昭和 |
60 |
1985 |
1 |
中国プロジェクトグル−プ |
中国・四輪車技術担当 |
昭和 |
61 |
1986 |
10 |
中国部技術グループ |
中国・二輪車及び四輪車技術担当 |
昭和 |
63 |
1988 |
3 |
四輪輸出統括部中国グループ |
中国・四輪車技術担当 |
平成 |
1 |
1989 |
1 |
海外技術部東アジアグループ |
中国・四輪車技術担当 |
平成 |
3 |
1991 |
7 |
海外技術部品質技術グループ |
中国・四輪車設計技術担当 |
平成 |
5 |
1993 |
4 |
第二海外技術部四輪担当グループ |
中国・四輪車設計技術担当 |
平成 |
5 |
1993 |
11 |
中国技術グループ |
中国・四輪車設計技術担当 |
平成 |
6 |
1994 |
8 |
スズキ株式会社退社 |
. |
【経 歴】
何分、ほぼ40年前のことですから、当時はともかく、今となれば、「会社の機密事項」とされるようなものはないと思いますので、全て忠実に真実を書いてみようということで、スタ−トしたのですが、書いていきますと、やはり小生個人としても、また担当した技術屋の立場としても、真実を公開したくない事柄が一、二出てまいりました。これらにつきましては、若干ボカシタ表現にしたりしたところもあります。この辺もご理解の上、ご覧になって戴きたいと思います。
小生は、技術屋のハシクレで、今まで会社での技術報告書以外、文章など書いたことはなく、さぞかし読みづらいところが、多々あることと思いますが、お許しいただきたいと思います。
当時、レ−スに関わりを持たれた皆さんにも、是非ご覧いただきたいと思うのですが、考えてみれば、もうお年を召した方々が多く、お若い方でも50才代半ばになられている筈で、インタ−ネットなどを楽しまれている方は、数少ないのではないかと思います。このペ−ジをご覧になり、身近にこのような方がいらっしゃいましたら、是非教えてあげて下さい。
当時から、ほぼ40年の歳月が過ぎ、スズキでも、多くの当時のレ−ス関係者が故人になられました。ライダ−では、内藤隆寿(1961)・鈴木誠一(1974)・松本聡男(1970年代)・Degner(1983年)・市野三千雄(1983)、総監督を務められた岡野武治(1997)、設計の一員だった鈴木美清(1998)。また当時のレ−ス他で亡くなられた、ホンダ関係の秋山邦彦・鈴木義一・Brown・Phillis・McIntyreそして後にHailwood(1981.3)。ヤマハ関係のIvy(1969)。カワサキ関係ではの元スズキの藤井敏雄(1966)と懐かしい顔が浮かびます(敬称略)。ご冥福を祈ります。
余談になりますが、当時レ−スを担当したのは「研究三課」でした。レ−ス撤退後も、当時のメンバ−で「研三会」と名付けた親睦会をつくり、現在でも毎年会合を開き、親睦を深めています。しかし定年退職者は年ごとに増え、現役の人は数人となってしまいました。ホンダさん、ヤマハさんにも、このような会合があるのでしたら、合同で開催し、旧交を温めれれば・・・最高だろうなとも考えます。
なお、スズキの元ワ−クスライダ−の森下勲・越野晴雄(多分下関市に居住)の連絡先が不明です。もしこのペ−ジをご覧になったら、是非ご連絡下さい。また、彼らの消息をご存じの方がございましたら、是非ご連絡下さい。
このペ−ジをご覧になっての、ご意見、ご感想、間違いのご指摘などがございましたら、ご遠慮なく、ご連絡下さい。
2001年1月 中野広之
【追記】スズキの元ワ−クスライダ−の越野晴雄くんの連絡先について、浅間時代から大活躍された「本田和夫」さんから、2002年9月に、越野くんの住所の連絡をいただきました。おかげで35年振りくらいに連絡がとれました。本当に有り難うございました。インターネットってありがたいですね! 2002年9月追記
小生は、1958年スズキに入社し、1959年の第3回浅間火山レ−ス、1960年のTTレ−ス初参加から1967年を最後に世界選手権レ−スを撤退するまで、ずっとレ−ス用エンジンの開発を主業務に、レ−ス部門に関与させていただきました。1994年にスズキ退職し、1996年にはその後勤務した会社すなわち第二の人生にも別れを告げ、「晴動雨読」の生活に入りました。そしてインタ−ネットも楽しむようになりましたが、浅間レースや1960年代のレース、即ち日本のモーターサイクルレースの黎明期の記事が殆どないのを残念に思い、暇にまかせ、昔の日記帳・雑誌の切り抜き・アルバムなどから、当時のレ−ス資料を、小生なりに纏めてみようと思い立ったわけです。
日本のモ−タ−サイクルレ−スが育ち始めた1950・1960年代に興味をお持ちの方々に見ていただければ幸いです。また、当時のレ−スのことは、世の人々に忘れ去られつつあり、この風化の防止に少しでもお役に立てればと考えます。
【1963年のパスポ−トの
写真です】
[ご挨拶とお願い]