平成15年、新発表のスポーツカーに搭載された1台のエンジンに、世界が瞠目(どうもく)した。その名は《ロータリーエンジン(RE)》。かつて、広島の自動車メーカー「マツダ」が開発した、小型で高出力の革命エンジンである。世界の自動車史に残る革新技術と絶賛され、「会社の魂」とまで言われた「RE」。だが、バブル崩壊による業績悪化と外資による経営再建の中、利益の出ないい「RE」は存在すら認められなくなった。
その時、立ち上がったのは30代の若き技術者たち。
「技術を俺たちの手で受け継ぐ」 エンジン復活と技術者たちの意地をかけた闘いが始まった・・・。
昭和57年、絶好調の日本自動車業界。その一つ、マツダに入社した田島誠司は、夢があった。「あの伝説のエンジンに関わりたい」そのエンジンとは、《ロータリーエンジン(RE)》。原爆を投下され、焼跡となった広島の街。その土地で復活を果たした「マツダ」が、その生き残りをかけ昭和42年に開発した。リーダー山本健一と「四十七士」の壮絶な苦闘は、世界の自動車史に残るエンジンを生み出した。その後、石油ショックで「燃費食い」と叩かれたが、見事技術を改良。平成3年、「ルマン」優勝を遂げるなど、「会社の魂」とまで言われたエンジンだった。
しかし、念願の「RE設計」チームの中核に成長した田島を待っていたのは、思いがけない時代のうねりだった。「バブル崩壊」。拡大路線をとっていた会社の業績は急激に悪化。遂には外資のフォードに経営を譲り渡した。乗り込んだ社長は、「ロータリーエンジンの開発は白紙に戻す」と言い放った。田島の部署はたった5名に縮小。チームは解体された。
しかし、田島は諦めなかった。車体担当の任田功ともに「売れるRE車作り」を闇で始めた。密かに部品を集め、試作車を作り、強引に経営陣に認めさせる作戦に出た。2人の姿に、仲間が徐々に増え始めた。「ゴキブリカー」とやゆされるほど醜い試作車。だが、その車は見事、フォード経営陣の心をつかんだ。
RE搭載の新車開発が決定。喜ぶ田島たちのもとに、経営陣から衝撃の知らせが届いた。「現在の2ドア2シートではなく、確実に利益を出す4ドア4シートの車にせよ。」
伝説の技術「ロータリーエンジン」、その「最終章」として、若者たちの熱き闘いをお伝えする。
新ロータリーエンジン開発リーダー 田島誠司さん | 車体設計担当 任田功さん |