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第23号(1963年9月発行)

スズキ125cc:1963年世界メーカー選手権獲得

 1963年、世界GPレースは五月五日のスペインGPをかわきりに、世界各地で開催されている。その第八戦である八月十八日の東ドイツGP一二五ccの優勝により、得点五六をマーク、全レース(十二レース)終了をまたずして、ことしの世界メーカー選手権獲得が決定した。
 また、個人選手権もスズキのH・アンダーソンが獲得した。
 スズキ一二五は、世界G・Pレース第二戦の西ドイツG・P以後TTレースも含めて東ドイツGPまで破竹の勢いで七連勝を記録、堂々このクラスの新しいチャンピオンになった。これはスズキの一二五が世界で最もはやい“無敵の一二五ccレーサー”であり、その性能が完全に安定したものであることを示している。
                                        
50ccはあと一勝

 このクラスは、ダッチTT以後開催されていないが、のこる四戦のうち、あと一勝すれば世界メーカー選手権を獲得できる。

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第24号(1963年10月発行)

●よろこびを分ちあう

 本年度世界GPレースの輝く成果を全従業員で祝う、世界選手権獲得祝賀会、および祝賀バーティーが十月四日午後、浜松市体育館で開催される。
 この日は一二時二〇分より本社で祝賀会、その後会場を市体育館にうつしてパーティーが開かれる。これには全国各営業所員、出向社員も含めた全従業員のほか、招待客あわせて三千七百名余りが参加する予定。
 勝利の歓びをわかち、明日の前進を共に誓う三千七百余の大竟宴は、企業発展の姿を語る圧巻となろう。

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第25号(1963年11月発行)

よろこびをみんなで
世界選手権獲得 祝賀パーティー開催

10月4日,菊の香川も漂う秋晴に恵まれてGPレース世界選手権獲得祝賀式が行なわれた。
 会社玄関前広場に全従業員が参集した中で,喜びに満ちた社長が,形式にとらわれない,実質を尊んだ祝賀式とパーティーを開き,全員でこのよろこびを分ちあいたいと力強く話した。また,大がらなアンダーソン,小がらなシュナイダーの2外人ライダーも顔をみせ,スズキのマシンへの愛着を語った。
 万才三唱により式の雰囲気が盛り上がったところで乾杯が行なわれた。
 祝賀パーティーは,浜松市体育館で華々しく開幕,会場を埋めたみんなの笑顔は,よろこびでいっばい。社業の発展を象徴するかのようになごやかで明るく,ほどほどに上気した社長と社員が手をとりあう交歓風景が幾度となくくり返された。それは,あたかも明日の活躍が固く約束されているようであった。

                       

 会場こは“世界せまし”とばかり戦いぬいてきた当社のGPレースにおける活躍ぶりが,大きな写真や図となって周囲をめぐっていた。とくに参集者の多くは,舞台全面の写真にどぎざもをぬかれたようすだった。
 そして,それぞれのテーブルで“乾杯”の声がわきあがり,よろこびをわかちあっていた。

          



スズキ50再び世界選手権を獲得

《2クラス制覇》の偉業達成
                            

 十月六日、アルゼンチンのブエノスアイレスで行なわれた世界グランプリレース第十一戦で、スズキ五〇は独走優勝をなしとげた。
 その結果、一二五cc部門に引き続き五〇cc部門でも六三年メーカー選手権を獲得した。
 当社はこのアルゼンチンGPにアンダーソン(優勝)とデグナー(3位)の両選手で五〇ccのみに出場した。
 かくてスズキは、五〇cc・一二五ccの主流二クラスで完全に世界を制覇、“スズキ2サイクル技術”の声価は不動のものとなった。



1963年日本G Pレース・その見どころ

11月10日・スズカサーキットにて開催

 いよいよモータースポーツの祭典、日本グランプリレースの開幕が近ずいて来た。このグランプリレースはFIMの主催する世界選手権シリーズの一つで、ロードレースの中で最も権威の高いものである。ことしはスペインに始まって西ドイツ、フランス、マン烏、オランダ、ベルギー、アルスター、東ドイツ、フィンランド、イタリー、アルゼンチンと行なわれてきた。そして、十二番目、ことし最後の世界選手権シリーズが来たる十日、鈴鹿で行なわれるわけ。そこで、今回のレースの興味の焦点をいろいろさぐつてみよう。
                               
■50cc 外人選手に挑む日本勢

 まず50CCクラスは最終戦を前にしてメーカー選手権はスズキに、個人ランキングでは現在アンダーソンがアンシャイトを二点リードして、個人チャンピオンの最短コースにいる。日本グランプリでは、この二人に加えて、不運にもチャンピオンの座を下りたとはいえ実力のあるデグナーを含め、三つどもえの激戦が最も興味を引きそうだ。それと共に、クライドラーの実力も我々の前に披露してもらえるだろう。
 レースも本番になると、また違ったおもしろさが見られよう。というのはマン島優勝の伊藤光夫、ベルギー優勝の森下勲、そして去年鈴鹿で圧倒的に速かった市野三千雄らの日本勢が一歩もひけをとらずに、前記外人選手二人に挑むからだ。
 優勝は恐らくこの中から出ると思うが、予想は全く難しい。また今シーズン、ナリをひそめていたホンダが、三気筒
(そんな噂もあったっけ?)を数台参加させるらしい。馬力も十馬力を越すといわれ、去年同様、あなどれない実力を出すと思われる。このクラスにおいても、二サイクルと四サイクルの激突はおもしろくなりそうだ。

■125cc スズキ勢を中心に展開されるか

一二五CCクラスの選手権は、すでにメーカーはスズキ、個人はアンダーソンに決定しており、やや興味を欠くが、それ以上に現代のモーターサイクルスポーツの中心として見応えのあるレースが展開されよう。このクラスでは、最も速いスズキに対し、ホンダは一二五CCの4気筒を完成し八月中にレッドマンをスズカに呼んでテストを行ない、彼は「べリー・グッド」といって帰欧したとか。
 またレース界に根性をもって知られるヤマハも、二五〇の好成績からしてこのクラスにも当然、かなりのマシンを持って挑むことだろう。いずれにせよ、このクラスでは日本製以外の何物もはいり込む余地はなく、スターティング・グリッドの最前列にズラリと並ぶスズキ一二五を中心に、レースは進められよう。
 選手ではチャンピオンのアンダーソンを筆頭にデイグナー、ペリス、シュナイダーのスズキ勢に、タベリ、レッドマン、ロブ、高橋国光のホンダ勢が四気筒のマシンで挑戦し、スピーディーなレースがみられることと思われる。

■250cc 怪物、スズキ4気筒の活躍期待

 二五〇CCクラスでは、ホンダの天下だった今までとはようすが大分違ってきており、最も変化に富んだ、ダイナミックなレースを見せてくれそうである。まずホンダの大黒柱レッドマンと豪快な走法で”世界一速い単気筒モリーニ”を駆るプロビーニとのメーカーと個人の選手権をかけた対決は最も興味をひくだろう。またホンダをも抜き去る程のスピードを持つ”二サイクルの強豪”ヤマハを駆る日本の天才派伊藤史朗、一二五を母体に驚異的な馬力を持つ怪物”スズキ四気筒”を駆るアンダーソン、ペリス、デイグナー、シュナイダー。これらのメンバーとマシンをみても、レース史上最大のものになることはまちがいあるまい。
 さらに、マイク・ヘイルウッド(五〇〇CC級チャンピオン)や、アラン・シェファード(重量級の有名選手)が、東ドイツでホンダを問題なく破った水冷のMZでもひっさげてくれば、想像するだけでもおもしろい。

■350cc 体力が結果を支配

 三五〇CC級はチャンピオン、レッドマンに、名門MVアダスターでマイク・ヘイルウッドが挑戦するが、MVとホンダの基本的設計の時代差が性能の上ではっきりしているので、重量級に乗れば”天下一品”のへイルウッドも・苦戦は免れない。ジレラに乗るジョン・ハートルにも同じことがいえる。このクラスになると強大な馬力と車重を制御する体力が結果を大きく左右するようになるので、日本人の上位進出は困難になるようだ。

■場所は・・足をつかって多くの地点でみよう

 次にどの地点がレースをより興味深く見ることができるか、少しふれてみよう。グランドスタンドの前方では首の運動とサインボードを見るためには都合の良い所だが、レースを技術的に観察するには不向きのようである。私の見た限りでは、スタンドの真反対の小高い丘”J”の標識のある所がよいと思う。連続するS形カーブを通る速さと、コーナーのとり方が一目でわかる。ただし、水平の位置から見るのとちがい、上方から見下ろすと、スピード感に欠けるものである。やはり、最もおもしろく見るには、足を使って、多くの地点から見ることではなかろうか。
 最後にレース場へ行かれる人は、観客としてのマナーをお互いいに守るよう心掛けたいものである。

(解説 研究三課 越野晴雄)

スズキチームのゼッケンは

   H・アンダーソン  5
   B・シュナイダー  9
   E・デグナー    10
   F・ペリス      14
   増田俊吉      33
   森下 勲       34
   市野三千雄     35
   越野晴雄      36
   藤井敏雄       37
   伊藤光夫      38

 ■ゼッケンは各種目を通じて共通です

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第26号(1963年12月発行)

1963年日本GP開かる

 六十三年度世界GPレースの最終戦”第一回日本グランプリロードレース大会”は十一月十日午前八時三〇分から、三重県鈴鹿市のスズカ・サーキットに一五万人を越える大観衆をあつめて行なわれた。
 スズキのH・アンダーソンか、クライドラーのアンシャイトのいずれが個人選手権を獲得するかで興味を呼んだ五〇cc級レースから日本GPの火蓋が切られた。十四周八四・〇五六キロにおよぶこのレースは、出足よく飛び出したホンダのL・タベリが中盤から独走態勢に移ってそのままゴールイン、四一分三四秒七のタイムで優勝。スズキのH・アンダーソンは二位を占めて有効得点三四点をあげ、三周目エンジントラブルでリタイアしたアンシャイトをおさえて本年度の個人選手権を獲得した。また増田俊吉、市野三千雄、伊藤光夫のスズキチームは、チーム賞を獲得した。

                          

 つづいて行なわれた一二五cc級レースはペリス、デグナー、アンダーソンのスズキ、ホンダに乗るレッドマンが終始抜きつ抜かれつの熱戦をくりひろげた。そして、六周目にトップをうばったペリスが、好調に走りそのままゴールイン、五三分一一秒九のタイムで優勝。またペリス、デグナー、アンダーソンのスズキチームはチーム賞を獲得した。
 午後の第一レース二五〇cc級は、本年度の世界選手権の個人、メーカーの両タイトがかけられていたほか、水冷四気筒をひっさげたスズキと、新鋭ヤマハの喰い込みが見ものと予想されていたが、終始ヤマハの伊藤史朗とデッドヒートを演じたホンダのレッドマンが追いせまる伊藤をおさえて優勝。この結果、個人選手権はレッドマン、メーカー選手権もホンダに決定した。
 なお、スズキ勢で完走したものは一台もなかった。

                                      
            
50ccチャンピオンが決まったAnderson       125cc優勝のPerris            元気になって帰国したDegner

デグナー選手の傷なおる

 この日、二五〇ccクラスのレースで不幸にして転倒、負傷した当社チームのE・デグナー選手は、約一か月療養生活を送っていたが、元気になって十二月九日浜松を発ち郷里の西ドイツに帰国した。
 ことしのデグナーは、昨年のすばらしい結果にくらべると少々さびしいものであったが、さすが”2サイクルにかけては世界一”といわれるだけあって平均した力を発揮、日本GPでも一二五ccクラスで三位に入賞し、スズキのチーム賞獲得に一役かった。
 また、デグナーが転倒した際、F・ペリスが車を停めてデグナーを引きおこし、大事のないことをたしかめてから再スタートしたことは、スポーツマンらしい美わしい光景として関係者の話題になったという。

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第29号(1964年3月発行)

GPレース余話

研究第三課 石川正純
                                  

 英語さえできれば、語学万能の感を抱いている人も多いと思います。しかし、文化や人間の交流のさかんな欧州でも、都会を一歩あとにすると、もはや、その国の言葉以外は通じなくなり、身振り手振りから絵をかくことで、こちらの意志を通じさせる努力をします。日常の挨拶ぐらいならと、片言にその国の言葉をつかうと、後が大変 立板に水と話しを浴びせられて、ホウホウの体で逃げ出すことになります。
 とくにフランス人は、かって隆盛を極めた自国語に誇りをもっているのか、英語の修習に不熱心なのか、英語を話せる人は少ない。知っていても最初は自国語で話し始め、こちらをとまどわせます。
 情熱のスペイン人、洗練されたパリジュンヌ、英国の気どった紳士などと、日本ではいわれていますが、やはり言葉のへだたりがあっては、それを直接に感ずるところまでいきません。
 どこの女性もムードに弱いといわれていますが、悲しいかな日本で覚えた英語では上手なお世辞や、機知に富んだユーモアを話すに足りません。だから、選手団の中には金髪の彼女を得ようと、ねらっている連中もいますが、だれ一人として得たものはいないようです。しかし、たび重なる遠征の中には、金髪の美人を獲得する国際人が出現するかもしれません。
 郷に入っては郷に従え−といいますが食事や風呂には苦労します。日本人は動物愛護の精神に富んでいるのか、肉類と卵では殺生の罪悪感にさいなまれるのか―とにかく耐えられなくなり”日本恋しや”の病に陥ります。行く先々で中華料理をさがし求めて、わずかに淋しさをいやしています。
 外国での風呂やシャワーは、水浴びのようにさっぱりしており、小原庄助のようにゆったりした雰囲気は味わえません。飲みに行っても注文ごとに支払うので、借金倒れの心配は絶対ありません。しかし、日本のバーのように美女にかしづかれて、殿様顔のできる味を知っている者では、音楽だけが流れていても美女に欠け、殿様になれぬ悲哀は全くつらいものです。
 各地のレース場に滞在しているときは、仕事に追われ苦しい面もありますが、スズキの名声に群集がむらがり、サインをしてくれ、記念に帽子を、ジャンパーをくれとせがまれるときは、何かそれも忘れてしまいます。みな相好をくずしてサインに応じていますが、帽子など自分の持物を与える段となると、なかなかしぶくなり、きれいな娘さんを選んでくれてやったりして、話の糸口をつかむ手段にする巧妙な連中も出現します。物をねだる手段としてのコケットリであることは、十分わかっていても、やはり子供や男をしりぞけてそちらに与えるのは、男の本性の甘さなのでしょう。

 1964年のGPレース日程

  スペインGP    五月三日
  フランスGP    五月一七日
  TTレース     六月八・十・十二日
  オランダGP    六月二七日
  ベルギーGP    七月五日
  西ドイツGP    七月一九日
  東ドイツGP    七月二六日
  アルスターGP   八月八日
  フイランドGP    八月三〇日
  イタリアGP     九月一三日
  アルゼンチンGP 十月五日
  日本GP      十一月一日

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第32号(1964年6月発行)

1964年TTレース スズキ50・3年連続優勝

 6月12日、イギリス・マン島で行なわれたTTレースで、スズキは50ccクラスで優勝、3年連続優勝をなしとげた。
 コースはマン島山手コースを3周する182.175キロメートルで、スズキに乗ったH・アンダーソンは宿敵ホンダを見事におさえ、新記録を樹立した。また、アンダーソンは時速130.56キロを記録し最高ラップ賞も獲碍、昨年スズキの伊藤光夫選手が出した127キロを破る新記録で、本レースにおける彼の完壁な勝利を物語っている。
 この結果、当社はTTレース50ccクラスで、アンダーソン、森下勲、伊藤光夫の3選手でメーカーチーム賞を獲得した。また、今年度の世界選手権レースの得点でも、4レースを通算して30点をマーク、クライドラーの20点、ホンダの8点を大きくリードした。

 なお、このレースには20台が出走、18台が完走している。

   成績は次のとおり。
  1位 スズキ H・アンダーソン 1時間24分13秒4 平均時速129.72キロ
  2位 ホンダ R・ブライアンズ  1時間25分14秒4 平均時速128.15キロ
  3位 スズキ 森下 勲      1時間25分17秒6 平均時速128.15キロ
  4位 クライドラー H・アンシャイト
  5位 スズキ 伊藤光夫
  6位 ホンダ 谷口尚己

 なお、これより前に250cc・125ccクラスが、それぞれ8日、10日に行なわれたが、当社はエンジントラブル、その他で、いずれも完走できなかった。
 結果は、250ccクラスでは、レッドマン(ホンダ)、シェファード(MZ)、パガーニ(バトン=イタリア)の順位、125ccクラスではタヴェリ(ホンダ)、レッドマン(ホンダ)、ブライアンズ(ホンダ)の順であった。


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