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  私の左足を蘇らせてくれた「聖隷浜松病院 心臓血管外科」の医師団

聖隷浜松病院
聖隷浜松病院・心臓血管外科の医師団
左:小出昌秋部長 中:打田俊司医長
右前:立石実医師 右後:渡辺一正医師
(退院の日の回診を終えて)
手術の概要図
趣味はピアノ演奏の小出部長 元気にサッカーを楽しむ
打田医長
柔道初段の立石医師 渡辺医師

発病から聖隷浜松病院心臓血管外科での手術まで

 私がスズキを退職したのが1994年8月(62歳)、その後2年程他の会社に勤め、完全な「晴動雨読の生活」に入ったのは1997年(64歳)からだった。さあ、これから第二の人生を大いに楽しもうと思い始めた頃から、足に若干の違和感、即ち散歩している時などに時々足に痺れが出たり、足が重くなったり・・・と異常を感じるようになったが、これも年のせいだろうと余り気にもしなかった。

 1998年7月のことだった。左足に猛烈な痺れと言うか痛みが出て、車の運転も出来ず、娘に乗せて貰って、1kmほど離れた整形外科の開業医への通院が始まった。レントゲンを撮っての診断は、若い頃何かの原因で発生した背骨のズレにより、背骨の中を通る血管が圧迫され血流が悪くなったことが原因だろうとのことで、背骨を引っ張ったり、腰を暖めたりの治療を行った。この結果、2ケ月程の通院でひどい痛みや痺れは殆ど回復することが出来た(今考えるとどうして良くなったのだろうと不思議に思うが・・)。しかし、足の或る程度の痺れや重さは残ってはいたが・・・。

 このような小康状態が3年ほど続いたが、2001年夏頃から、数百m歩行すると左足の感覚がなくなる(痛みはないが、力が全然なくなって歩行不能になる)と言う現象が出始めてきた。2002年初春にはこの症状がひどくなり、50mの歩行が精一杯という状況になってきた。そこで近くの「浜松市リハビリテーション病院」の整形外科に通院することにした。レントゲンを撮ったり、MRI を撮ったりの検査をしたが、診断は1998年の時の開業医と同様、背骨のズレによる、背骨の中を通る血管の圧迫が原因とのことだった。治療は血流を良くする薬、及び血流を良くする点滴をすることだった。これにより50mの歩行限度だったものが200〜250m に向上することにはなった。医師の話では、現状で家庭内生活は問題なく出来るし、腰(背骨)の手術をしても完治する保証は出来ないから、そのままにしたらどうかとの意見だった。私も完治は諦めるしかないと思うようになったのだった。

 今年(2003年・71歳)の初夏の頃だった。家内の友人の知人の話が伝わってきた。私と殆ど同じような症状だった人が、やはり整形外科にかかっていたが、左足首から先が壊疽(えそ:血液が回らず腐る)となり切断することになったが、聖隷浜松病院の心臓血管外科で、原因は左足への動脈が詰まっていたことと診断され右足への動脈を左足へ人工血管で結ぶ手術をして完治したとの話だった。勿論切断した左足首から先は戻らないが・・。

 9月9日、聖隷浜松病院の心臓血管外科の初診に出掛けた。初診の場合は、まず問診票に記入して提出、次に看護士が病状を聴取、これを担当医師に報告して、必要あれば診察前に検査を実施する。私の場合は、「血圧脈波検査(両手・両足の血圧測定)」を実施してからの診察となった。
 小出心臓血管外科部長は、前記検査結果を見、下腹部から両足の簡単な触診をして、次のような診断結果を下された。これは、今までかかっていた整形外科医とは全然異なる診断結果だった。「(絵を描きながら)心臓から足への動脈は下腹部で二つに分かれ、左右の足へ行っている。貴方の場合、左足へ行く動脈が完全に詰まって(閉塞)いる。左足の末端へはこの動脈からでなく、縦横無尽に張り巡らされた細い血管から何とか細々と血液が供給されている。歩行すれば足の筋肉が酸欠となり、新しい血液が供給されないため、歩行不能となる。病名は【閉塞性動脈硬化症】である。このまま放置すれば、安静にしていてもひどい痛みが出るようになり、次には壊疽(えそ)となって切断するしかない。治療法としては、正常な右足の動脈から、人工血管で左足の動脈にバイパスを造るしかない。尚、タバコを吸っているようなら、すぐに止めて下さい」と。小出先生のこの一言で、私は五十数年間吸い続けたタバコを、翌日から止めた。

 その後、色々な検査を実施したが、大変だったのは一泊入院での「血管造影検査」だった。右肘関節部の動脈に孔を明け、ここから カテーテル(管)を動脈内に差し込み、心臓横を通り、下腹部まで差し込むのだ。そして、ここから造影剤を噴射して足への血液の流れの状況を調べるのだ。動脈の内面は神経がないとかで、痛みはないが、カテーテル(管)の出し入れは感じた。大変なのは検査終了後の止血だった。翌朝まで腕を板?に縛られ全く動けないのには閉口だった。

 この「血管造影検査」の結果、10月14日に手術日が決定した。手術名は【閉塞性動脈硬化症による大腿動脈バイパス手術】である。手術が混んでおり、入院は11月15日、手術は17日と決定した。入院まで一ヶ月余もあるため、この期間が大変だった。私は、今まで健康で手術の経験は全くない。そのため、考えれば考えるほど手術が怖く、夜はさっぱり眠れない。かかりつけの内科医に精神安定剤を貰って飲んだりした。でも、入院日の一週間ほど前になって、「手術が済めば、もう一生ダメと諦めていた足が歩けるようになるんだ」と気持ちを切り替えることが出来、非常に楽になった。

 11月17日の手術日がやってきた。9時半、集中治療室担当の男性看護士が病室に迎えに来た。手術室までは200m余あっただろうか、看護士と並んで歩き、妻と娘が後から・・そして家族の待合室へ。沢山の手術室が並んでおり、No.10の部屋に入った。既に麻酔担当医たちが待っており、パンズ一枚になって手術台へ上がるように言われる。そして全身麻酔の点滴が始まり、1〜2分で意識がなくなった。

 麻酔が覚め、意識が戻った時は、まだ手術室で、移動用のベットの上だった。手術室の時計は12時15分だった覚えだ。そして、集中治療室(ICU)で一夜を過ごし、二晩目は集中治療室(HCU)で過ごした。そして、三日目に一般病棟へ。しかし、ベットから下りることはまだ許可されない。小便はパイプが膀胱まで通してあるので気にならない。大便は我慢できず、一度やった。20日朝の回診で便所までの歩行は許可された。21日朝には病棟内(その階のみ)の十数分までの歩行が許可された。廊下を一周回ると1分15秒ほどかかる(後、歩幅から計算すると1周約70m位だった)。手術前の状況は精々4〜5分で歩けなくなった。4周回って5分近く歩いても、まだ OK だ。5周、6周、7周、8周、もう約10分歩いたが、まだOKだ。「歩けるようになった。昔のようにどこへでも行ける。」目頭が熱くなってきた。もう2周歩いて13分近くになった。長いこと長時間歩いた事が無く、筋肉が弱っているためか、腰から下全体が疲れたが、手術前のような左足全体に力がなくなるような現象は全くない。バンザーイ!!。翌日からは毎日15分の歩行を2回行い、26日には予定より早く退院を許可された。

 発病したのは1998年だ。もう5年も経過している。最初から「心臓血管外科」を訪れていれば・・・と悔やまれるが、これも仕方ない。このような症状が出て、「整形外科」にかかっている人々は数多くいるのではないかと思われます。是非「心臓血管外科」の門を叩いて見て下さい。

 最後に、私に明るい第二の人生を与えて下さった聖隷浜松病院の心臓血管外科の小出昌秋部長をはじめとする先生方に心からお礼を申し上げます。
                        
                      バイパスに使われた人工血管(直径約9mm)

【追記ー2003年12月】

 2003年11月17日手術実施、手術後4日目に歩行許可が出、26日に退院した。歩行しても手術前の様な左足の筋肉が酸欠となり、新しい血液が供給されないために歩行不能となると言うような症状は全くなく、手術の傷口以外には気になることはなく、快調そのものだった。
 しかし、手術後2週間が過ぎた12月上旬から、私としては全く予期していなかった2つの症状が出てきた。
 一つは「腿を上げると腿のつけ根部分に痛みが出ること」で、このため腰掛けたり、歩行すると両腿のつけ根が大分痛むのである。
 もう一つの症状は、「下腹部から腿の半ば位までの皮膚の表面に痺れ」が出てきた。体を動かせば、この部分の皮膚と下着は必ず相互に動くため、痺れを感じるのである。
 医師の話では、「下腹部に人工血管と言う異物」を入れたため、このような症状が出ているのであり、時間をかければ納まってくる筈ということである。人によって差はあるが、1年くらいはかかるかなと医師は言っている。気長に症状のおさまるのを待つしかないようである。

《2004年3月12日中日新聞掲載記事》

 このような記事、情報が数年前に私の耳に入っていれば、整形外科の門を叩くことなく、迷わずに心臓血管外科にお世話になっていたことだろう。残念なことだ。

増える閉塞性動脈硬化症

足の痛み・しびれ、血管の病気疑って・・

足が冷たく、しびれる。いつも一定の距離以上を歩くと足に痛みがでる。こんな症状があっても「年のせいでは」などとあきらめていないだろうか。近年、足などの動脈が狭くなり、血流が悪くなることで起きる閉塞性動脈硬化症という病気が増えている。悪化すれば足の切断を余儀なくされるだけでなく、生死にかかわる虚血性心疾患・脳血管障害を併発することもあるので、注意が必要だ。(遠藤健司)

 「足の痛みやしびれでも、血管の病気を疑ってみてほしい」と話すのは名古屋大医学部血管外科の古森公浩教授。足の痛みなどだと、整形外科で診察を受ける人がほとんどだが、血管の病気でも同様な症状がおこることがあるためだ。閉塞性動脈硬化症は「足の脈拍を診てもらえれば、たいていは分かる」のだが、見逃されているケースが少なくないという。
 閉塞性動脈硬化症は、腹部から下肢の動脈(腹部大動脈、腸骨動脈、大腿動脈など)の内側にコレステロールなどが沈着し、動脈が狭くなったり、ふさがったりし、結果、足にしびれや痛みなどが起きる病気。近年、食習慣の欧米化や運動不足などに伴い増えている。
東京大付属病院手術部の重松宏教援の調査では、同大に訪れた患者は1971−1975年に171人だったが、1996−2000年には621人と実に3.5倍以上になった。

 この病気の症状は四つに分類される。初期段階では、足にしびれや冷感がみられる(T度)。U度(間歇性跛行期)では、ある一定の距離を歩いた後、特定め筋肉に痛みが出て歩行不能になる。ただし、しばらく休めば再び歩けるようになる。V度では、足に供給される血液が不足し、安静時でも痛みが続く状態だ。W度では、足の先端部など血流が悪いところから、皮膚が壊死(えし)し、かいようが生じてくる状態でる。
 古森教授らが、しびれや歩行時の痛みが出るT、U度での治療の必要性を訴えるのは、足を切断せざるをえないケースもでてくるためだ。「治療法も進歩しているが、V、W度のいわゆる重症虚血肢では、いろいろな治療を行っても、約10〜20%は残念ながら切断になる」と古森教接は話す。
 また、閉塞性動脈硬化症は、全身に進行した動脈硬化の一つの部分症でもあり、他の血管にも動脈硬化が起きている可能性が高い。実際「患者さんの約20%が虚血性心疾患と脳血管障害の両方を併発しているという報告もあります」と古森教授。両疾患は日本人の死因の二、三位を占めるだけに侮れない。

 治療法は、病気の程度によっで異なる。T度では下肢の安静・保温や禁煙をすすめる生活指導ほか、運動療法、薬物療法もある。U度では薬物療法とともに人工血管や自分の静脈を移植し血管の閉塞部の迂回路をつくるバイパス手術や、血管の中に風船のついた管を入れて膨らませ血管を拡張する血管拡張術などが中心。V、W度では外科治療が第一選択だ。古森教授は「術前、術後ともに合併症に対するケアが大変重要である。合併症と患者のQOL(生活の質)を考慮しながら治療方針を決めることになる」と話す。
 重症虚血肢の場合、バイパス術などの外科的手術が第一選択だが、閉塞部位が動脈の狭い部分で手術が困難なケースも。これまでこうしたケースは生死にかかわるため、足の切断を余儀なくされてきたが、近年、患者自身の骨髄細胞を移植することで血管を新生し血流を促進するという、注目の血管新生療法が閉塞性動脈硬化症の治療に効果を挙げている。関西医科大、久留米大、自治医科大の合同の臨床研究では45例中39例で安静時の痛みが消え、28例中21例でかいようがなくなっていることが報告されている。
 名古屋大でも2002年末から同療法の臨床研究を開始。「これまで4例に施行し、1例は、かいようが治癒する効果が得られた」と古掛教授。さらに治療法が確立されれば、重度の人でもQOL(生活の質)が大幅に改善されることになる。


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