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本文は、以前「ホンダ公式ホ−ムペ−ジ」に掲載されていた「レ−シングの源流」から引用しました。
多田健蔵
エンジン種類 空冷4サイクル直立単気筒OHC
排気量 348cm3
最高出力 over 28PS / 6,500rpm
最高速度 over 144km/h
車両重量 100kg
世界初のOHCエンジン量産車。Kはカムシャフト、TTはマン島用を意味。'30年に日本人最速の多田健蔵がTTに招かれ、初出場15位入賞を得た同型車。
1930 / ベロセット KTT マーク I
 もともと自転車の選手としてレース生活をスタートさせた多田が自転車からモーターサイクルに転向したのは大正10年ごろのことだった。とは言っても、当時の日本では系統だったレースは開催されておらず、年に何回かの単発レースが行なわれていたにすぎない。多田も自ら自転車屋を経営し、またいくつかの自製自転車を製造していたようだ。

 1930年、そんな中モーターサイクルレースでその名を馳せた多田の元に、イギリスはベロセット社からレース出場の打診があり、多田はこれを受けてマン島に赴くことになった。朝鮮からハルピンに入り、シベリア鉄道を経てヨーロッパへとたどり着いたのは、出発から40日が経ってからだったという。

 現地でベロセット350ccを受け取り、なんと1ヵ月の練習時間を経て出場したレース=ジュニアクラス350ccで15位完走。これが、日本および日本人が世界のレースに触れた初めての瞬間であった。以来Mr.Tadaは日本のレース関係の中心人物として海外からの折衝にあたったり、またレース統括団体のMFJ設立に多大な貢献を果たしている。1889年2月17日生まれ。

 この多田の挑戦から29年後の1959年ホンダが、翌1960年スズキが、マン島TTに挑戦し、以後熾烈な戦いがくり広げられていくのだった。