斉藤数馬さんのHP「MFP」内に掲載の「
ASAMA 2005」です。
2000年8月現在の
浅間レースコース跡地の現状写真などが掲載されています。
本記事は、【1959年
本文】にも掲載してあります。
「聖地めぐり」の若者たち・
これも関西ナンバ−だった。
お茶をご馳走したら喜んでくれた
コ−スの入り口、建物は「管理事務所」?、
その前にはゲ−トがあった。管理人は何と
言う方だっけ?思い出せない。
1989年5月1日長野旅行の折り、足をのばして、懐かしの「浅間高原自動車テストコ−ス」を30年振りに訪ねて見た。長野から小諸を経て中軽井沢で左折し、「峰の茶屋」へ。先に「鬼押し出し」の見物に。再び「峰の茶屋」まで戻って北上。当然ながら、30年前の火山灰の中に溶岩がアチコチ飛び出ている悪路ではない。やがて右折して、もとのコ−ス入り口へ。中には入れないが、当時の「管理事務所」らしき古ぼけた建物が残っていた。ここから眺める浅間山は当時のままだ。30年前の浅間合宿のときの浅間山の爆発を思い出す。・・・火山灰は凄かったなあ。・・・RBエンジンのコンロッド大端には苦労したなあ。・・・125ccレ−スでの伊藤光夫の転倒、谷口尚巳の転倒。・・・衝撃の250ccホンダ4気筒の出現、これを操る「逆ハン」の田中健二郎、野口種晴の健闘。・・・伊藤史朗と高橋国光のランデビュ−レ−ス。・・・宿の「北軽井沢の地蔵川旅館」はどうなっているかなあ。みんなのアイドルだった旅館の娘さん(勝っちゃん)はどうしているかなあ・・・と、いろんなことが思い出される。持参の
きゅうす にお茶を入れ、30分ほどを過ごす。この間に3〜4組のバイクの若者たちが「聖地めぐり」に訪れた。みんな浅間レ−ス後に生まれた様な若者ばかりだった。関西ナンバ−のバイクが多かった記憶だ。最後の人たちにお茶をご馳走したら、非常に喜んでいた。・・・北軽井沢へ行くのは止めて帰路に着く。・・・今となって、何故寄って来なかったのかと大いに後悔しているが・・・。
年月の経過は早いもので、もう あれから13年だ。 2002年5月記
懐かしの「浅間高原自動車テストコ−ス」を30年振りに訪ねて