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「Classic Motorcycling」 第2号 |
RM62 | シーズン中盤のベルギーGP(スパ・フランコルシャン)の決勝、L.タベリ(ホンダ)をリードするデグナー。T.T.からスタートしたデグナーの連勝は、次戦西ドイツまで続き、この4連勝がタイトル獲得への大きな貯金となった。 |
取材で間違いなく「RM」と伝えたが、なぜか記事では「RMA」になっていた。以下「RM」に修正する。 |
2ストローク単気筒(41×38mm)、ロータリーディスクバルブ、5段ミッションという諸元が与えられたRMの性能目標は7ps/10000prm。しかし、開発当初は5.5psほどの出力しか得られず、自らが掲げた目標値をクリアできたのは`61年9月末のこと。すでに、この年のビッグイベントである第4回クラブマンレース(ジョンソン基地)は7月に終わっており、同50ccクラスは発表間もないランペットCA2改と、その市販レーサー仕様CR50が1〜7位を独占していた。RMのデビューレースは、クラブマンレースからちょうど3ヶ月後に迎えることとなった。当時、愛知県津島市ではバイクレースが盛んだった。スズキチームは完成間もないRMを、10月22日のレースに出場させることを急遽決定した。そして決勝レースにて、RMは強敵ランペット勢を退け。見事デビューウィンを飾ったのである。
一方、その`61年に欧州では、世界的なモペッド人気を背景に成立したFIM公認の50cc欧州選手権が開かれていた。津島市でのRM勝利から約1週間後の10月28日、FIMは初年度から賑わいをみせた50cc欧州選手権の成功を受け、翌`62年は格上げするかたちでの世界GPに50ccクラスを加えることを秋季総会で決定する。
それ以前より、スズキは50ccクラス新設の情報をFIMから得ていたが、RMの開発を下地とするGP用マシンの企画が固まったのは11月末。RM62と名付けられたレーサーの図面が出図されたのは、翌`62年の1月8日と遅かった(先に参戦が決まっていた125、250cc用レーサーの開発が優先されたためである)。
RM62は3月27日に第一号エンジンが完成したが、出図から完成までの間の2月15日に、急遽ボア×ストロークが変更されるといういきさつもあったという。国内レース規定はコンマ以下の排気量分は50ccを超えることを認めていたため、当初RM62は40×40mm=50.25ccで設計されたが、GP50ccクラスの規定がまだFIMから伝わっていなかったこともあり、あらゆるケースに備え40×39.5mmとストロークを落とし、49.62ccと50cc以下に収まるようにしたのだ。
4月19日に欧州に送られたRM62は、5月初旬に開かれる初戦スペインGPに、充分なテストをこなせないまま臨むこととなった。バルセロナでのGP史上初の50ccレースは、前年欧州選手権を制したH-G.アンシャイトとクライドラーのコンビネーションが勝利。RM62勢は市野三千雄が7位に入るのがやっとで、デルビ、ホンダなどのライバルにも遅れをとった。次戦フランスGPもクライドラーを駆るJ.ヒューベルトが勝利。3台のホンダがこれに続き、鈴木誠一、伊藤光夫、E.デグナーらRM62ライダーは、5〜7位の座に甘んじた。
ライバルたちとの差はわずかなれど、1.2戦続けて雌伏を強いられたスズキに光明が差し込んだのは6月のこと。第3戦の舞台マン島T.T.公式練習にて、デグナーが全参加者中の一番時計をマークしたのだ。直前に日本から届いたエンジン、排気管などの“改良部品”の効果もあり、デグナーがRM62を初めての表彰台、しかも頂点に導いた。この勝利は、スズキ初のT.T.優勝でもあり、戦後初の2サイクルによるT.T.レース優勝という、幾多の快挙を同時になし得たものだった。
RM62 | |
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この撮影車両は、スズキ本社に保管されているRM62である。モノクロ写真は`62年に撮影されたRM62のストリップ。シート後端に記された「M2-…」は、RMの「M」、62の「2」それぞれの末尾で、スズキ製他クラスのGPモデルも、このような方式で型式が表記されている(最後の11と6は、シリアル番号)。 アルミバレルに鋳鉄スリーブを焼きバメし、ピストンには独マーレ社の鍛造ピストンを使用。この使用は単気筒RMシリーズの共通の仕様だった |
RM63 | |
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`63年マン島T.T.のパドックに並ぶ、スズキのファクトリーライダーとRM63たち。左より伊藤光夫(優勝)、森下勳(4位)、H.アンダーソン(2位)、市野三千雄(5位)、B.シュナイダー(リタイヤ)、そしてE.デグナー(リタイヤ) | |
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鯉住氏が所有する未再生のRM63。フレーム番号M3-8は森下勳選手用に欧州に送られた車体だ(搭載されているM3-11は、そもそもはデグナーのスペア用)。`63年シーズンに森下はベルギーGPで見事優勝を飾っているが、もちろんこの車体は「そのもの」だ。 RM63エンジン最大の特徴は、リヤエキゾースト(後方排気)を採用したことだろう。そのほか、キャブレター口径が拡大され(24ミリ)、そして変速機段数が1速多い9速となっている。 |
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鯉住氏が所有の RM64(TR50エンジン搭載) | |
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RM63のオーナー、鯉住氏が所有するRM64(TR50エンジン搭載)。走行写真は、`98年の鈴鹿ヒストリックレーシング・デモ走行時の勇姿だ。 | |
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