エンジン同様、フレームの進化も確実に進められた。図で分かるように、ヘッドパイプまわりの剛性向上、メインパイプの曲げ半径変更など、形式は同じでも格段の剛性向上をはたしている。
写真を一見してわかる通り、RC160とRC161ではまったく異なるエンジンを搭載している。当時のGPでは、車体まわりなどでは年度毎に細部を変更することはあっても、このようにがらりと新設計のエンジンを採用してくるなど、非常にまれなことだった。
しかし、RC160からRC161への進化は、その後、年が変わる度に4気筒、6気筒と次々と新型マシンを投入するホンダの大攻勢の、まだ序章に過ぎなかった。
第3回浅間レース250ccクラスを制したRC160は、世界初の250cc4気筒として大きな話題を呼んだが、そのままの形でGPに出場することはなく、この浅間のみに出場して第一戦から退いた。このためRC160を後に愛着を込めて浅間フォアと呼ぶようになった。ちなみに125ccクラスを走ったのはマン島と同型のRC142だが、こちらもマン島とこの浅間のみの2レースに使われただけで後継機種にその座をあけわたしている。
ホンダのマン島出場から2ヵ月後の浅間はその凱旋ムードに沸き立ち、大観衆を集めた。しかしこの凱旋レースで、RC142とマン島出場メンバーを擁するホンダワークスは、市販車CB92に乗る北野元に後塵を浴びせられ、とんだ失態を演じることになる。完全なマン島ロードレース仕様より、むしろオフ路面でも乗りやすい市販車ベースのマシンを駆る北野がその抜群のテクニックを発揮し、11秒の大差をつけてしまったのだ。ここで、北野の名は一気に国内のトップライダーとして轟くことになる。
また、浅間最後のレースとなった1959年の第3回浅間レースには、後の日本のレース界に名を残す多くの人材が名を連ねている。
まず、クラブマン50ccクラスで2位になった生沢徹。クラブマン125、250cc、耐久125ccクラス優勝の北野元。クラブマン500ccクラス優勝の高橋国光。耐久250ccクラスで最高ラップを樹立した田中健二郎。そして耐久500ccクラス優勝の伊藤史朗など、後に2輪4輪レースの中心的役割をはたす人物がきら星のように輝いていた。北野、高橋、田中らはその後ホンダ・スピード・クラブ(HSC)に加入し、世界選手権ロードレースへの参戦を開始することになる。
日本のレースの黎明期を力強く支えた浅間レースは、1959年まで続けられ、以後は舗装路中心の本格的ロードレースに移行していく。
【GPの真の王者】GPにおけるメーカータイトルは、開始当初の1949年、1950年には各クラスがすべて異なるメーカーによって制されていたが、1951年に初めてノートンが350、500ccクラスの2クラスを制覇。翌1952年もノートンが同じく2クラスを制して、その覇権を守った。しかしイタリアの新興勢力MVアグスタは1955年に125、250ccの両クラス制覇に続いて、1956年には500ccを加えた3クラス、そして1958年には125、250、350、500ccの4クラス全制覇を達成。さらにこの全クラス制覇を1960年まで3年連続させるという、前人未到の記録を打ち立てた。
ホンダがGP参戦を開始したこの時代、GPサーキットはまさにMV帝国の支配下にあったと言ってもいい状況だった。
【シリーズ戦を通しての出場】1960年当時、世界選手権ロードレースは全7戦のシリーズ戦として戦われていた。1949年にスタートした時点では6戦であり、この1960年までは6〜9戦で推移していたが、ホンダがタイトルを獲得する1961年から11戦に増加し、一気に負担が増加している。その後12〜15戦のGPが一般的になっていった。1950年のシーズンから6位以内の入賞システムが採用されていたが、1969年に大改革を経て、現在では1〜15位の入賞システムが採用されている。
年度 開催年 GP開催数 開催クラス 1. 1949 6 125.250.350.500 2. 1950 6 125.250.350.500 3. 1951 8 125.250.350.500 4. 1952 8 125.250.350.500 5. 1953 9 125.250.350.500 6. 1954 9 125.250.350.500 7. 1955 8 125.250.350.500 8. 1956 6 125.250.350.500 9. 1957 6 125.250.350.500 10. 1958 7 125.250.350.500 11. 1959 8 125.250.350.500 12. 1960 7 125.250.350.500 13. 1961 11 125.250.350.500 14. 1962 11 50.125.250.350.500 15. 1963 12 50.125.250.350.500 16. 1964 12 50.125.250.350.500 17. 1965 13 50.125.250.350.500 18. 1966 12 50.125.250.350.500 19. 1967 13 50.125.250.350.500 20. 1968 10 50.125.250.350.500 21. 1969 12 50.125.250.350.500 22. 1970 12 50.125.250.350.500 23. 1971 12 50.125.250.350.500 24. 1972 13 50.125.250.350.500 25. 1973 12 50.125.250.350.500 26. 1974 12 50.125.250.350.500 27. 1975 12 50.125.250.350.500 28. 1976 12 50.125.250.350.500 29. 1977 13 50.125.250.350.500 30. 1978 13 50.125.250.350.500 31. 1979 13 50.125.250.350.500 32. 1980 10 50.125.250.350.500 33. 1981 14 50.125.250.350.500 34. 1982 14 50.125.250.350.500 35. 1983 12 50.125.250.500 36. 1984 12 80.125.250.500 37. 1985 12 80.125.250.500 38. 1986 12 80.125.250.500 39. 1987 15 80.125.250.500 40. 1988 15 80.125.250.500 41. 1989 15 80.125.250.500 42. 1990 15 125.250.500 43. 1991 15 125.250.500 44. 1992 13 125.250.500 45. 1993 14 125.250.500 46. 1994 14 125.250.500 47. 1995 13 125.250.500 48. 1996 15 125.250.500 49. 1997 15 125.250.500 50. 1998 15 125.250.500※各GPごとに開催クラスは異なり、全てのGPで全クラスが開催されているとは限らない。
1907年に設立されたFIM(Federation International Motorcyclist)が統括する2輪ロードレース・シリーズ戦の最高峰。ロードレース部門は1949年にシリーズ戦がスタート、すでに50年の歴史を誇っている。ちなみに4輪のF1が世界選手権としてスタートしたのは1950年のことだった。
当初125.250.350.500cc.サイドカーの5クラスで開始された世界選手権は、1962年から50ccクラスを追加。やがて350ccクラスは1982年をもって廃止され、50ccクラスは1984年から80ccクラスに移行。そして1989年をもって廃止され、世界選手権ロードレースのシリーズ戦としては現在125.250.500ccの3クラスのレースが開催されている。
ライダーは年間シリーズ戦を戦い、各レースの順位に応じてポイントが与えられ、その合計ポイントに応じて年間ランキングが与えられる。またメーカー(マシン)にも同様の得点制度があり、マニュファクチャラーズ・チャンピオンシップいわゆるメーカータイトルが与えられる。
ロードレースの他にもモトクロス(500cc1957年から。250cc1962年から。125cc1975年から)やトライアル(1975年から)、また耐久レース(1975年から)、TT F1(1977年から)、スーパーバイク(1988年から)などの各レースが開催されている。